米長邦雄永世棋聖 =内心の葛藤= (5)

生前の原田泰夫九段と一度、酒席をご一緒させていただいたことがあった。「三手の読み」は初心者指導の名言でもあり、「自然流」「さわやか流」「高速流」など、棋士の棋風を命名されたことでも有名だ。

私は棋士の色紙というものを何枚か持っているが、原田九段の「字」を拝見して以来、例えば、今A級で活躍されている方のそれを欲しいと思わなくなった。

この方は、はっきり「大山名人嫌い」であった。おそらく新会館建設の際のエピソードだろうが「企業で募金活動を行う際に、大山さんは中原さんに首から募金箱をぶら下げさせて回ったりする。中原さんは名人ですよ。名人に何ということをさせるのか」

「高柳一門にはクズはいませんな。クズが」

私が中原名人のファンであるということを申し上げたからでもないのだろうが、氏はこう述べた。原田泰夫九段から「クズ」などという激しい言葉が発せられたことが実に意外で、そのことだけは今も鮮明に記憶している。

米長九段は、内弟子の期間中、師匠の言に必ずしも従順ではなかったようである。「自分には自分のやり方があり、師匠と同じことをやっていたら師匠のレベル(当時七段)で止まってしまいますから」この一言で、師匠の堪忍袋の緒が切れ鉄拳が飛んだという逸話がある。

また「「私が今日あるのは佐瀬先生に一局も教わらなかったから」という米長永世棋聖の台詞もこの方らしい。

芹澤九段も中原誠十六世名人にも、実はこういう類のエピソードは聞こえてこない。例えば羽生善治名人は師匠の二上九段を「師匠は静かに徳を積んできた先生です」と述べている。

私は米長九段が佐瀬名誉九段に恩義や敬愛の念を感じていないとは全く思っていない。むしろ言葉とは裏腹な面が強いと考えている。ただ、氏は自虐的なのである。中原誠十六世名人には、そういうところがない。それは何故だろうかと考えなくもない。

ただ、こういうことは言えるかもしれない。米長九段は佐瀬名誉九段にとっては「初めての弟子」である。中原名人には既に芹澤博文という兄弟子がいた。ほぼ同時期に入門した安恵八段がいた。棋界の人格者と言われる金易二郎名誉九段も健在だった。

そういう空気の違いはやはり大きかったのだろうと思っている。米長九段は、ここでも背負うものが、あまりに大きかったのではないかという気がするし、改めて考えてみたい「幼年期」には、それは更に強いものでもあった。

投稿者: JC IMPACT 投稿日時: 木, 07/01/2010 - 20:50 categories [ ]