駒の流儀・第7部

第34章「地蔵流」

   大阪市福島区の関西将棋会館では、王将戦1次予選が行われようとしていた。
    定刻15分前には、すでに南良一9段が正座して待ち構えていた。

   すでに杉本政隆7段に勝って、トーナメント2回戦に進んできたのが、南9段の対戦相手の山崎貴之7段である。

     まもなく対局開始の午前9時になるところだったが、5階の対局室には、まだ山崎7段は現れなかった。

    南9段は表情ひとつ変えず、微動だにしなかった。

    この関西の強豪、南良一9段を紹介しておこう。

     
     大阪府岸和田市出身 1963年生 46歳

       竜王戦4組 順位戦B級2組 A級在位も長い。
        タイトルは、棋王2期 棋聖2期
       将棋大賞では、殊勲、技能、敢闘の文字通り3賞を受賞している。

      2003年には、通算600勝達成で将棋栄誉賞を受ける。
      1988年には、岸和田市民栄誉賞も受けるなど、数々の受賞歴がある。
       谷川9段、高橋9段らと同世代で、しのぎを削っていた実力派棋士である。

       将棋フアンの間では<地蔵流>と呼ばれる。

     時刻は、とっくに9時を過ぎ、10時になろうとしていた。
      バタバタと廊下を走る音が聞こえたと同時に、山崎7段が駆け込むようにして入室してきた。

山崎貴之7段 「すみません。遅くなりました」

       南9段は、上目遣いに山崎を見たが、何事もないように会釈をした。
  

山崎貴之7段 「車が接触事故を起こしちゃって、どうもすみません」

      山崎は、走ってきたのか、まだ息を切らしていた。

  南良一9段 「怪我はなかったの?」

       南は、いつものようにボソッと言った。
  

山崎貴之7段 「ええ。擦っただけなんすけど、保険会社を呼んだりして時間がかかってしまって」

      事故で遅れようが、出産で遅れようが、誰も何も言わぬ。
     遅れた本人が損をするだけのことである。

      こうして、山崎7段の消費時間が遅れた分だけ加算されて、対局が開始された。
  

     この山崎7段の1時間の遅刻は、温対記者の取材を通して、暇名小五郎の耳にも入った。

暇名小五郎 「温対さん、そんなことがあったのですか。なるほどねえ」

       暇名探偵が考え込むのをみて、温対記者もピンとくるものがあった。

  温対記者 「暇名さん、この対局が怪人60面相と関わりがありそうですよね」

暇名小五郎 「はい。さすが温対さんです。次の盗難は、おそらくこの対局です」

     いつもは口を濁す暇名探偵が、珍しく断定した。

  温対記者 「じゃあ、何が盗まれるんですかねえ?」

暇名小五郎 「それをこれから検討しましょう。一緒に警視庁へ行きましょう」

 

      銀座の暇名探偵事務所から、霞ヶ関の警視庁まではタクシーで行くことにした。
       小雨が降っていたが、2人とも傘も持たないほど気がせいていた。  

投稿者: 悪魔仮面 投稿日時: 木, 04/15/2010 - 10:44 categories [ ]

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駒の流儀・第7部  第37章

第37章「待ち伏せ」

世渡甚六捜査三課長 「自宅に置く?」

  温対記者 「わざと盗ませるんですか?」

       意外な暇名の提案であった。

暇名小五郎 「はい。待ち伏せして、怪人60面相を捕らえるつもりです」

 世渡甚六捜査三課長 「そうか。それがいいね。だが、それには山崎7段の協力が必要だね」

       世渡には、すぐ暇名の意図がわかった。

渡り鳥旭警部 「課長。山崎7段のほうは、私がやります」

 世渡甚六捜査三課長 「うむ。何があっても、山崎7段に危害が及ばないようにすることだ」

     渡り鳥警部は、言われるまでもないと目で示した。

  温対記者 「あの、山崎さんて結婚してるんですか?」

細波雷蔵刑事 「おいおい、将棋担当記者がそれじゃあ困るね。彼はまだ独身だよ」

 温対記者 「すみません。それで独り暮らしなんですよね」

     温対は頭をかいた。

細波雷蔵刑事 「そうです。今は大阪に居住しています」

 温対記者 「それは僕も調べてきています。山崎7段は現在関西に所属してるので、住居も関西将棋会館の近くにマンションを借りて住んでいます」

渡り鳥旭警部 「正確な住所は、大阪市福島区7丁目だ。そこの<コーポ・浪華>という15階建てマンションの3階に居住」

 世渡甚六捜査三課長 「なるほど。そこから関西将棋会館は近いのかね?」

  
      世渡課長は、大阪の地理には疎いようだった。

細波雷蔵刑事 「ええ。将棋会館のほうは6丁目ですので、なにわ筋を挟んで、目と鼻の先です」

  世渡甚六捜査三課長 「それは便利だ」

暇名小五郎 「それで課長。怪人60面相は、すぐにでも現れる可能性があります」

 世渡甚六捜査三課長 「分かってる。渡り鳥警部は、すぐ山崎7段と連絡を取って、今日から毎日、部屋を留守にしてもらうように」

  渡り鳥旭警部 「わかりました」

世渡甚六捜査三課長 「細波君は、他の刑事も連れて、張り込みの段取りをつけるように」

  細波雷蔵刑事 「はい。大阪府警にも了解してもらうよう手配しておきます」

      こうして、警視庁捜査三課は山崎7段の自宅マンションで、怪人60面相を待ち受ける体制を着々と整えていった。       
     いったん週刊ポテト社に戻って来た温対記者は、編集長に事情を説明してから、あらためて大阪行きの許可を受けた。

 
温対記者 「暇名さん、編集長も乗り気でした。良い結果報告が出来る気がしますよ」

 暇名小五郎 「はは。だといんですけどね」

     暇名小五郎は、そうは言ったものの何か嫌な予感がしていた。

暇名小五郎 「温対さん。私も今回は山崎7段が盗難に遭うのは確実だと思うのですが、なにか何処かが間違ってるような気がするんですよ」

  温対記者 「え、嫌だなあ。何が違うんですか?」

暇名小五郎 「いや。何かはわからないのですが、何か私が勘違いしているか、見逃しているような気がしてならないんです」

  
     暇名探偵が嫌な予感がするというので、温対記者も本当に山崎7段が盗難に遭うのか、不安になってきた。

駒の流儀・第7部  第36章

第36章「遅刻と事故」

   暇名小五郎に促されて、温対記者が箇条書きしてきた資料を、刑事たちに見せた。

温対記者 「ここへ来るまでに、将棋連盟の越中事務局長さんに調べてもらいました。その内容は、ご覧のようにその都度賞品は違っています」

    2000年 新人王戦優勝 副賞 柘植の駒
    2002年 早指し戦優勝 副賞 高級キーホルダー 

    2004年 新人王戦優勝 副賞 ギンナン面の駒
    2004年 NHK杯戦優勝 副賞 写真額
    2009年 大和証券杯優勝 副賞 湯飲み茶碗

世渡甚六捜査三課長 「ほお。もっと凄いものを貰うのかと思ったが、案外だね」

     世渡課長でなくても、プロ棋士の賞品としては質素である。
      もう少し値の張るものが貰えると思うのが、普通だった。

  細波雷蔵刑事 「課長。記念品ですから、そんなもんですよ」

世渡甚六捜査三課長 「そうかねえ。私のような貧乏人は、考えることが意地汚いねえ」

 暇名小五郎 「はは。たしかにそれほど高価なものはないですよ。大事なのは名誉ですから」

     暇名も内心は、連盟もケチなものだと思いながらも、口では反対のことを言った。

渡り鳥旭警部 「それで、この中から遅刻と事故と将棋に関係するものということになるが」

      渡り鳥は、必ずこの中にある品物だと、確信していた。

  細波雷蔵刑事 「駒は、将棋そのものですが、遅刻や事故に関係ないですね」

温対記者 「キーホルダーは、車の鍵には関係するけど、将棋には無関係ですよねえ」

 暇名小五郎 「あまり両方に関係するということには、こだわらなくてもいいですよ。どちらか片方に関係していれば、該当すると思いますから」

    暇名としては、あまり範囲を狭めないようにとの配慮があった。

渡り鳥旭警部 「湯飲み茶碗は、まったく関係なさそうだがな」

 暇名小五郎 「いやそれが、湯飲み茶碗には王将だの飛車だのと、筆字で全体に描かれてあるそうです」

世渡甚六捜査三課長 「そうか。寿司屋の湯飲みのようなものだな」

  暇名小五郎 「そうです。それから写真額には、日本将棋連盟の名前が彫られてあります。キーホルダーは、ホルダーそのものが、駒の形をしている珍しいものらしいです」

渡り鳥旭警部 「なるほど。そうすると、どれであっても不思議はないなあ」

     渡り鳥は、該当するものが増えて、ため息をついた。

 細波雷蔵刑事 「課長、私はキーホルダーが一番可能性があると思います。車の事故と将棋のどちらにも接点があります」

暇名小五郎 「はい。私も同感です」

  温対記者 「僕も、そう思ってました」

    温対はともかく、暇名が賛成したので、全員キーホルダー説で一致した。
    

世渡甚六捜査三課長 「よし。警部はすぐ将棋連盟に行って、事務局長と会うこと。そして、そのキーホルダーは、今誰が持っているか、または何処に置いてあるか確認して、盗難の恐れがあることを知らせる」

 渡り鳥旭警部 「連盟の会長や役員には知らせますか?」

世渡甚六捜査三課長 「いや、まだだ。怪人60面相の正体がわからない以上、迂闊に話せないぞ」

    どうやら、世渡課長は内部犯行説のようだった。

 暇名小五郎 「私も課長に賛成です。特に犯人がプロ棋士である可能性が強いので、慎重にするべきです」

渡り鳥旭警部 「わかりました。他にはなにか?」

  世渡甚六捜査三課長 「うむ。もし山崎7段の自宅に置いてあるのなら、場所を移すか、警察で保管するようにしよう」

暇名小五郎 「課長。できれば自宅に置いたままにして、怪盗が現れやすいようにしてはどうでしょうか?」

駒の流儀・第7部  第35章

第35章「山陽の子天狗」

  南9段との対局に、大幅に遅刻した山崎貴之7段とは、どんな棋士なのか。やはり紹介しておかねば、山崎フアンが承知せぬであろう。

      広島市出身 1981年生 30歳

       竜王戦は2組  順位戦B級1組 2006年に7段となる。
       
       タイトルの獲得は無いが、新人王戦やNHK杯トーナメント等優勝5回。
        将棋大賞の新人賞、敢闘賞を受賞している。

       通算の勝率も7割近く、将来が大きく期待され<山陽の子天狗>と称される逸材である。

    【警視庁 捜査三課】

   警視庁の捜査三課では、世渡課長を中心に暇名小五郎と温対記者を交えて、対策会議が行われているところだった。

世渡甚六三課長 「今の暇名さんの話では、次の盗難の被害者は、山崎7段の可能性があるということだね」

  渡り鳥旭警部 「私も課長と同意見です」

        だれにも異論はないようだった。

世渡甚六三課長 「問題は、何が盗まれるかだな」

 暇名小五郎 「はい。それをこの場で、皆さんで検討してみたいのですが」

世渡甚六三課長 「うむ。まず、今回の流儀の心得は<礼>だったね。ここから何が想像できるかね?」

      やはり、一番のポイントは<心得>だけに、まず課長はそれを問題にした。

  細波雷蔵刑事 「山崎7段は、対局に大幅に遅刻をしております。このことが<礼>に反することは言うまでもありません。その遅刻の理由が、車が接触事故を起こしたからだそうです」

温対記者 「だけど、自分が運転する車で事故を起こしたら<車で接触事故を...>と言いませんか?! 」

 細波雷蔵刑事 「たしかに微妙なニュアンスですね。考えようによっては、わざと接触事故を起こしたことを悟られないようにとの思いから、この発言かなともとれます」

渡り鳥旭警部 「山崎7段が、なんのためにわざと事故を起こすのだ?」

    
       警部には、細波の言う意味がわからなかった。

 世渡甚六三課長 「細波君が言いたいのは、ひとつの可能性ということだろう。暇名さんが言うように、怪盗がプロ棋士だと仮定すると、あり得ないことではないからね」

     世渡課長には、細波刑事の言いたいことがわかっていた。

温対記者 「それで、ぶつかった相手は、誰なんですか?」

  細波雷蔵刑事 「出前途中の、ラーメン屋の自転車だそうです。全くの第3者で、事件とは関係ありません」

      接触した相手のラーメン屋は、指をすりむいた程度だったが、腰や首を痛めたふりをして、示談金を要求してきていた。

温対記者 「僕は、その車の事故に関係する物が、盗まれるような気がするんですけど」

 渡り鳥旭警部 「俺もそう思う。具体的には何だろう?」

温対記者 「まさか車ということはないですよね。運転免許証とか、車検証、保険証書などはどうですかねえ?」

 細波雷蔵刑事 「なるほど。しかし、それだと将棋には全く関係のない品物ですよ」

渡り鳥旭警部 「そうだ。少なくとも、今までの盗難品は将棋と関係があるものだった」

  暇名小五郎 「その通りですね」

世渡甚六三課長 「そうだとすると、車の事故にも関連していて、なおかつ将棋にも関係している品物ということだね」

  渡り鳥旭警部 「そう考えていいと思います」

暇名小五郎 「もうひとつ、山崎7段が大切にしている品物だという条件もあります」

        このことが最も肝心であった。

 細波雷蔵刑事 「そうでした。忘れてましたよ」

温対記者 「それから、取材でわかったのですが、遅れて来た時に山崎7段が言ったことで気になることがあるんですけど・・・」

 世渡甚六三課長 「ほお。なんだね?」

温対記者 「はい。<擦っただけなんすけど、保険会社を呼んだりして時間がかかってしまって>と言ってるんですよ。僕には、この意味がわかりません。事故証明用に先ずは警察を呼びませんか?」

  渡り鳥旭警部 「うむ。だが、想定済みの事故なので、当然警察を呼んだと思います、山崎7段はそれをしゃべらなかっただけじゃないかな」

暇名小五郎 「そうですね。我々でも、当然のことは、つい省略してしまいますからね」

     相手が怪人60面相だけに、捜査する側も、ついつい細かすぎるところまで気になってしまうようだ。

 世渡甚六三課長 「ところで、山崎7段は優勝5回してるそうだが、その時の副賞はどんなものを貰ったのか調べてみたらどうかね?」

暇名小五郎 「課長。そうくるだろうと思って、実はもう調べてきています。」

      名探偵暇名小五郎の抜かりのなさに、警察も脱帽であった。

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