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素朴な質問 |
掲示板更新状況 |
質問の理由
無明のコードを組んでいる際、
『歩・飛・角が敵陣に進入したら「成り」・「不成り」の2通りの合法手を作成し、しかも(我には)メリットが見当たらない「不成り」の検索の必要があるのか...検索の必要が無いならその分速くなるのでは?』
...と思ったのですが、「例外は無いと思ったときに存在する」ので質問した次第です。
凄いな
ほんに左様で.達人戦(先日週刊誌掲載)では一二三大先生は内藤九段に負けたようで御座いますが.
解答も凄いですな.本来想定すべき詰みを巡っての問題だと打歩詰に引っ懸ける答えが出るだろうと思って居りましたが,詰みと無関係ならば,千日手を避けるために3度目を不成にすることが有り得るかと.実戦ではそれで打開でなく打破されて負けることでせうけれども.
凄いな!
加藤先生、凄過ぎますよ!相変わらずの特上寿司とうな重プラス板チョコですか。
それに、たぶん長すぎるネクタイも健在。はっしと打ち下ろした駒のため、盤が
割れてしまうとは。これは凄すぎる!そして極めつけは、
「 あ と 何 分 ? 」
これこそ、棋士加藤一二三のあるべき姿。いやあ、素晴らしい。おまけに七冠王!
それにしても、羽生桃花もそのころにはかなりの年齢のはず。70歳ぐらい?
将棋史に残る、名人戦老齢対局だったに違いない。
恐れ入りました
▲2二角不成のところ、▲2二角成では、37手後の△1二歩打ちを
▲同馬と取ることができるのだが、不成だとこの歩を取れないため、
△1二歩は打歩詰となって成立しないのだ。
37手後ですか...嗚呼。
2ちゃんの加藤一二三先生スレ
167 名前:◆HKSeNKoUs. 投稿日:02/11/30 13:51 ID:sSQYhlEP
第121期名人戦七番勝負第4局は、2063年5月3~4日、
この対局を最後に取り壊しの決まっている、
東京・千駄ヶ谷の旧将棋会館で行われた。
3連敗で後のない羽生桃花名人のゴキゲン四間飛車に、
先手番の加藤一二三竜王は今期先手番無敗の棒銀で対抗。
羽生は角交換から桃花風車の堅陣を築き、序盤を優位に進めるが、
封じ手後、加藤は飛車を切り、金2枚をタダ捨てする強襲の上、
玉自らの突進により、桃花風車の一角を崩した。
羽生は裸の加藤玉を詰めにかかるが、
加藤は角1枚で自玉の詰めろを阻止。
優劣不明の長い終盤戦が続いたが、
100手を過ぎるころ、加藤の容態が急変する。
加藤の心臓は、過食と老衰により弱りきっており、
本来対局には耐えられない状態だった。
この対局も、主治医からの絶対安静という指示を振り切って臨んでおり、
駆けつけた医師団は即刻の対局中断を求めたが、
加藤は激しい空咳と大きなモーションの空打ちで中断を拒否。
特上寿司とうな重、板チョコ6枚を注文して対局を続行した。
そして122手目、羽生の△2一香が決まる。
控え室検討では、この王手に対し、加藤は玉を逃げても、
いかなる合い駒をしても、詰みを避けられない。
検討陣は「加藤負け」で一致した。
加藤の持ち時間は残り7分。ネクタイを強く締め上げ、
中腰になってズボンの乱れを直すが、
残り4分となったところでその動きが止まり、床に倒れる。
すぐに医師団が駆けつけたが、呼吸、脈拍ともに停止。
168 名前: ◆HKSeNKoUs. 投稿日:02/11/30 13:51 ID:sSQYhlEP
しかし、搬入された担架に加藤竜王を乗せようとした瞬間、
加藤は起き上がり、最後の一声をあげる。
「 あ と 何 分 ? 」
「加藤竜王、残り2分です」という計時係の声に、
加藤は3一の角を取り上げ、渾身の力で2二に叩きつけた。
第123手、加藤一二三竜王、▲2二角不成。
その駒音は控え室にまで響き渡り、次の瞬間その2二を中心として
盤面に亀裂が走ると、まもなく盤は真っ二つに割れた。
記録係が替えの盤を持ってこさせようと指示を出すが、
羽生はそれを無言で制止、静かに投了を告げた。
▲2二角不成のところ、▲2二角成では、37手後の△1二歩打ちを
▲同馬と取ることができるのだが、不成だとこの歩を取れないため、
△1二歩は打歩詰となって成立しないのだ。
渾身の一手を放った加藤は、そのまま真っ二つの盤の前、
静かに目を閉じ正座している。再び医師団が駆けつけたが、
加藤新名人はすでに事切れていた。
加藤一二三、実力制六代名人。1982年、中原十六世名人との
10番勝負を制した第40期名人戦以来、81年ぶりの名人復位。
同時に、竜王、棋聖、王位、王座、棋王、王将と合わせ、
1996年2月、羽生善治十八世名人以来の七冠王に輝いた、
その一局を最後に、123歳と123日、盤上に大往生。
生きながらにして伝説となった大棋士にふさわしい、
壮絶にして劇的なる最期であった。
なお、この将棋はそのまま「加藤定跡」としてさまざまな棋士により
検討がなされたが、先手勝利を覆す変化はついに発見されず、
将棋の先手必勝が証明され、ゲームとしての将棋は終焉を迎えることとなった。
(注:羽生桃花は羽生善治の二女)