と金TOKING

みなさまお早うございます

「煙草1000円」で思いもかけず「将棋史」のトピックを盛り上げていただきました。と金掲示板にも世間を映すTOKINGの場があったほうがいいですね。(♪)

なおTOKINGも「と金」ですよ(歩歩)。HONG KONG(香港)、PING-PONG(ピンポン)と同じ。昔はPEKING(北京)とも書いたし。

さてコメントは「将棋史」などに捉われず幅広くお願いしますが、とりあえずそっちで出た話題と縁があることを二題。

● 尾鷲で内縁の妻が殺した夫の遺体を床下に隠すのを手伝った男逮捕。「象埋めて」と頼まれたという。
● オバマ氏がベルリンのブランデンブルク門の前での演説を希望したが、ベルリン市長は賛成、女首相は反対。ベルリンの壁崩壊の2年前レーガン大統領が、2年後クリントン大統領が演説している(多少不正確かも)。

♪ 当掲示板初期の「と金の歌Ⅰ」にもそのつもりはあったのですが、位置づけとも絡み、当時の情況からすこし理屈っぽいものになってしまいました。今度は気楽に参れますね。

投稿者: 歩曼陀羅華 投稿日時: 火, 07/22/2008 - 09:07 categories [ ]

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法蘭西馬賽革命歌 (3)

漸く夜も更けて参りました。(1)のつづき。

夜が来た。約束どおり隣室で様子を窺っていた父親の耳に、
 
 
「パパ、パパ…」

という娘の声が聞こえてきた。

父親は、心配だったが、もう少しと様子を見るだけの賢さは有った。

「パパ…、…パパ、パパ…、…パパ…パ、…

パパパ パンパンパンパン パーンパパ
パパ パンパンパンパン パーン
パパパンパン パパパパ パンパンパン

サクレクールは階段

サクレクールは階段が大変だが上がればその眺望は素晴らしい。登ればその価値はある。

教会といえばサクラダファミリアは起重機を使ってか(当たり前か?)かなり建築が進んでる感じがする。初めに見たときは塔が2ー3本だったか?完成など夢、と思ってたが若い人はそれを見られるかも知れん?ただ作りたての真っ白な部分と古くなって真っ黒な部分があって何かモノ悲しかった。

生ハムは知らんがチーズはカビ入りでないと何かモノ足らん?ワインに良く合う。

行きたいが去年もユーロが170円近くあって大変な気はした。円にすると昔の倍になったような気がする。

有有無

竜王戦の手が進まないので、こちらでおしゃべりを。

サクレ・クールかノートル・ダームか、どちらも趣があり、いいですね。私はサクレ・クールの裏道を散歩するのが好きでした。ほとんど人通りがなく、のんびりと散歩できたものです。テルトル広場の偽絵描きたちにうんざりさせられた後では絶好の気晴らし。坂道を下りた後ではモンマルトルの墓地でしばし瞑想、懐かしく思い出されます。

自分が俗物のせいか、パリの中ではもっともスノッブな街と言われているサン・ジェルマン・デ・プレの界隈が好きです。女房も大好き。人ごみや市場の賑わい、しゃれた喫茶店(フロールとドゥ・マゴ)、おいしい食堂などが大好きです。長いことパリに行っていないので、今年の夏くらいは女房を慰めるためにも、久々に行ってみようかとも思っているこのごろです。

法蘭西馬賽革命歌 (2)

ボンジュール 

サクレクールのほうがノートルダムより評判が良いようですね。日本語だと聖心VS聖母マリア。

私はサクレクールの石段は一度しか上がったことが無く、他2、3度訪れたときは、丘の斜面の下のカフェでコーヒーを飲みながら建物を見上げてました。ノートルダムのほうが入りやすくて好き。

考えてみるとエッフェル塔にさえ、上がるのは面倒で、やはり半ブロックほど離れたカフェでコーヒーを飲みながら見上げていた。

こういうのが〝低回〟趣味でしょうか?志が低いかわりに目線は高い?

サクレクールは、日本の平安神宮の15年前に着手されたが、当然のことながら50年近く掛かって、完成は第1次大戦の終わった年。京都ではノートルダム女子大と平安女子大とが張り合っている。

割とパリに寄る機会が有った時期は、ワインと未だ日本で作られていなかった生ハムは大好きでしたが、それはロダン美術館の前とか、出来たとき揉めたバルザックの寝巻の銅像のあるカフェとか、何軒かに決めていました。

そのうち日本でも生ハムが出来るようになり、パリのような強烈な香りとどす黒い迫力のあるものでなく、ピンクのちりめんのようなのを恐る恐るフランスの友人に出したら、なんとこれは素晴しいといわれたことが有ります。日本人のコンプレックスを反省すべきなのか、フランス人の社交性を評価すべきか、未だに分かりませぬ。(京都のオナゴさんも物凄いどすし。)

いろんな話題ですね 

楽しい話題なので 小生も参加します。

名前は出しませんので宜しく。

パリ >サクレクールとノートルダム、うん サクレクールが良いですね。 友人は結婚式をあげる為、 結構通って OK もらった そうです。
階段を歩くと 疲れる。

フランス♀ 婚前旅行
日本の♀より 経験は早いですよ。

フランス国歌
その女性 多分マルセーユ出身 と、推測

イスタンブール
ゴチャゴチャして 好きなところですよ。

ベルリンの壁
その昔、壁を見たときに 非常に感動しました >悪い意味で チェックポイントチャーリーの検査もひどかったし。新しいベルリンに行くチャンスがない 涙

落書き
してはいけない事を教えるのは良いことでしょうが、どこでも同じです。日本人の カキコなど 10%もないでしょう <厳しく罰するのは必要 外国でも 日本でも アメリカへ行っても NY ロス など 落書きのひどさは、どうしようもない。

そうそう、落書きと言えば、 ベルリンの壁、 東側は地雷等で近寄れませんでしたが、西側は 壁のうしろが散歩道になっていました。 落書きが 沢山書いてありました。 
一番感動した落書き:
GIVE PEACE A CHANCE
下手な和訳は 付けませんが、あの場所で納得して佇んだのを 覚えています。

オバマ氏ベルリン演説成功

20万人集めた。言ったことが、

「欧(と)米、民族、宗教間の〝壁〟解体を」

演説としては上手いのでしょうが、なんだか〝壁〟が鼻につく。

娘の部屋に男が泊まりに来てオロオロしている父親が居た。怒ってラブホだか外で泊まられるのも困るし父親とは哀しきもの。それでも無事結婚して孫でも出来れば嬉しいものか?

サクレクールは日曜の朝行くと素晴らしいミサが聞かれる。ノートルダムも同じだがワシはサクレクールが好き。パリはワインがうますぎていかん、すぐ出るつもりが出られなくなる。

父親の権威のないのも困るがそんなこと言ったら家を出て行ってしまうかのう?

法蘭西馬賽革命歌 (1)

結婚式を前に不安になっている娘に父親が言った。

「じゃパパは隣の部屋に居てあげよう
心配なときはパパと呼びなさい。
大丈夫なときは、革命歌を歌いなさい」

(つづく)

【注】フランスはカトリック国なので、日本では婚前旅行が当たり前になりかけていた頃に、婚約したばかりというフランス女性に、婚約旅行に行くのか聞いたら、そんなことをしたら両親が気絶するわといわれました。文化の違いは大きい。一つ間違えばセクハラになったかもしれませぬ。

コンスタンティノーポリ

ある本の裏表紙かに地図があり現イスタンブールをコンスタンティノーポリと書いてあった。ギリシャの中年以上は蛮族による聖地侵略者の呼称を受け入れることは出来ない。

あれから約5世紀、、、東欧に力がないにせよ武力、経済力に勝る西欧にも、何故聖地回復の動きさえなかったのか?ワシには partigiano の思いと重なる、、、

この歌は単調なリズムで意味を知らないとつまらんがそれを知ると泣ける。そういえばフランス革命の歌をパリのホテルで洗濯してるおばちゃんが歌ってるのを聞いたときには何故か心安まった。

〝さらば恋人よ〟

日本では、確か東大音感合唱団訳で、ト短調の楽譜が流通。
大好きな曲でした。

ある朝 目覚めて
さらば さらば 恋人よ
目覚めて 我は見ぬ
攻め入る敵を

当然のことながら、なにかパルチザン映画の背景音楽にも、使われていた。

原題はBella Ciaoだったのですか。こうやって見るとイタリー語の歌詞がやっぱりいい。

まさかフィレンツェの大聖堂への思いと重なるということは…

そういうこともありそうですね。

BELLA

BELLA CIAO
(イタリアパルチザンの歌)

Una mattina mi son svegliato

O bella ciao, bella ciao, bella ciao ciao ciao

una mattina mi son svegliato

e ho trovato l'invasor.

O partigiano portami via

O bella ciao, bella ciao, bella ciao ciao ciao

o partigiano portami via

che mi sento di morir.

E se io muoio da partigiano

O bella ciao, bella ciao, bella ciao ciao ciao

e se io muoio da partigiano

tu mi devi seppellir

Seppellire lassu in montagna

O bella ciao, bella ciao, bella ciao ciao ciao

Seppellire lassu in montagna

sotto l'ombra di un bel fior

E le genti che passeranno

O bella ciao, bella ciao, bella ciao ciao ciao

e le genti che passeranno

mi diranno che bel fior

Questo e il fiore del partigiano

O bella ciao, bella ciao, bella ciao ciao ciao

questo e il fiore del partigiano

morto per la liberta.

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日本語訳

ある朝,起きると

オ・ベッラチャオ・ベッラチャオ・ベッラチャオチャオチャオ

ある朝,起きると

侵略者がいた

パルチザンよ,僕を連れていってくれ

オ・ベッラチャオ・ベッラチャオ・ベッラチャオチャオチャオ

パルチザンよ,僕を連れていってくれ

死にそうなんだ

パルチザンとして死んだら

オ・ベッラチャオ・ベッラチャオ・ベッラチャオチャオチャオ

パルチザンとして死んだら

僕を葬ってくれ

あの山の上に葬って

オ・ベッラチャオ・ベッラチャオ・ベッラチャオチャオチャオ

あの山の上に葬って

きれいな花の下に

そこを通る人は

オ・ベッラチャオ・ベッラチャオ・ベッラチャオチャオチャオ

そこを通る人は

きれいな花だと言うんだ

これがパルチザンの花だ

オ・ベッラチャオ・ベッラチャオ・ベッラチャオチャオチャオ

これがパルチザンの花だ

自由のために死んだパルチザンの

ps
急に歌を思い出してしまった。
ワシは単に女性差別は反対!

白い象

白馬の騎士は買占め対策に出てくるものでしたかね。これは日本向けの意訳で本来は白い甲冑の騎士らしいですが。そうだとすると「グレート・レース」でプロフェッサー・ホワイトが出て来たのも納得できる。

今朝の毎日余録で、シャム、つまりタイ、の王様が、嫌いな相手に白い象を贈って困らせる話が載っていました。貴重なものだから大事にしなきゃいけないが、金が掛かって、家運が傾くことも多いそうな。

余録子は、これを教育界の贈答に結び付けていました。最近やっと表沙汰になったが、おそらく大分だけのことでなく、全都道府県ほぼ似たようなことなのでしょう。一つには冷戦時代に左翼対策と言うことで、秘密裡に縁故採用が正当化されていたことの名残でしょう。

今朝の毎日には、もう一つ面白い動物の話が載っていたが、それは後でと金掲示板の「駒音掲示板」トピックの方で。

銀助六様のトルコの話。面白いけれども良く分かりませぬ。愚の講義もときどき学生に言われる。正確には順序が逆で「良く分からないけれども面白いです」ということです。トルコには残念ながらまだ行った事がありませぬ。

愚妻は5月に行って、大喜びで帰ってきました。クルムとかいう常温で馬鹿に日持ちがする硬目のゼリー状の紅いサイコロ状の菓子があって、まだ食べてます。

ビザンチン・チェスにもマタ触れることになるでしょう。

Euro2008でトル

Euro2008でトルコがベスト4?

トルコとはどこの国か?女性差別してスカーフも強制する野蛮国か?
EUと聞いて思い出した。トルコはEUではない。女性を解放せよ。ブラもパンチイも取る権利を与えよ!ワシはまじナチュラリスタ。

EUに入りたかったらキプロスから出て行け。コンスタンティノーポリから出て行け。ビザンチン帝国を復興せよ!(半分マジじゃ)

アメリカ大統領選の行方

ヒラリーさんは負けてしまったが、彼女がブランデンブルク門広場で演説する場合だったならば、あの同性のドイツ首相を筆頭に、ドイツ政界が同じ反応をしただろうか?マケイン氏だったらどうだったか?

ベルリン市長は、オバマ氏の演説を大いに歓迎していた。許可権限を持って居たのは彼だ。ドイツ外相も賛成していた。

一方の候補にに肩入れする印象を与えることは好ましくないというのは、某将棋掲示板でも出ないほどの「お粗末な言いがかり」。マケイン氏が同様に演説を希望したら、それも受け入れれば良いだけのこと。

ベルリンの壁崩壊の前だったが、ドイツ人とロシヤ人との間の敵意は想像を絶する凄まじいものであることを垣間見たことがあるが、アメリカ人が絡むとまた別。

ドイツの小者らしい人物は、「ドイツの選挙戦をワシントンでやるものは居ない」と吐き捨てたが、一見もっともなようで、どうも国際政治の視点や歴史的展望に欠けてはいないだろうか?

足元を顧みて、わが日本で、京都とか広島とか長崎で、米大統領候補が演説することに、国民感情や、国際世論はどうなるだろう。

ドイツ人にとって、ブランデンブルク門は、それほど大切な「誇り」の象徴なのか?

否そうではあるまい。「屈辱」の象徴なのだ。ベルリンの壁も、アメリカの影響力のもとにやっと崩壊させられたというコンプレックス。そこでアメリカ人(それもケニア系)に大きな顔で選挙演説されては堪らないというのが、反対派の本心に違いない。

しかしオバマ氏が当選した場合、今の独首相である限り米独関係は冷え込むだろう。ドイツもアメリカも何処へ行く?ひいてはEUも。

ブランデンブルク門広場でつぎに演説する外国人政治家は、米大統領は、果たして誰か。

87年レーガン米大統領はブランデンブルク門前広場で演説した!

http://berlinhbf.exblog.jp/

同広場ではベルリンの壁崩壊2年前の87年、レーガン大統領(当時)が「ゴルバチョフ氏(旧ソ連大統領)よ。この門を開け。壁を崩せ」と演説。クリントン大統領(当時)も94年に「ベルリンは自由だ」と冷戦終結をたたえた。

(こんな史実についてさえも、相変わらず、否定的断言を浴びせる人が居るので(*)、愚の老化現象も相当進行したかと念のため確認した次第。お蔭様でついでにいろいろと確認できた。)

なおこのサイトに依れば、結局7月24日に戦勝記念塔、または赤い市庁舎(こっちはよく覚えていないが)の前ですることになったらしい。

ドイツ首相は果たして、狭量なのか賢明なのか。女賢しうして牛売りそこなうという譬えもあるが。まあ今回は、愚も戦勝記念塔あたりがいい妥協点とは思う。


某氏>ブランデンブルク門は、壁のすぐそばの東側にあった、アメリカ大統領が西ベルリン側のブランデンブルク門の前で演説することは出来たかもしれないが、これはソ連を非常に刺激するので、これもありえない。

ベルリンの壁崩壊は

ベルリンの壁崩壊は、1989年。レーガン大統領の大統領在籍期間は、1981年1月21日~1989年1月20日。したがって、ベルリンの壁崩壊の2年前は、レーガン氏は大統領だった。

しかしブランデンブルク門は、当時東ドイツ国内(東ベルリン)にあり、アメリカ大統領が当時東ドイツに訪問する雰囲気はなかった。アメリカ大統領が東ドイツに行きたいといえば、東ドイツは賛成したかもしれないが、ソ連は反対したであろう。

それで、アメリカ大統領が東ドイツに行ってブランデンブルク門前で演説することはありえない。

ブランデンブルク門は、壁のすぐそばの東側にあった、アメリカ大統領が西ベルリン側のブランデンブルク門の前で演説することは出来たかもしれないが、これはソ連を非常に刺激するので、これもありえない。

クリントン大統領の在籍期間は、1993年1月21日~2001年1月20日であるので、壁崩壊後、ブランデンブルク門の前で演説することは可能だった。

オバマ氏は、現在大統領候補である。ドイツ政府として、一方の候補に肩入れできない。それでドイツの首相は反対したのであろう。オバマ氏が当選後、アメリカ大統領として、ブランデンブルク門の前で演説を希望すれば、ドイツ首相は反対しないであろう。

話題が変わるが、歩曼陀羅華さんがドイツの首相のことを「女首相」と表現されている。なぜ首相の前に{女}をつけるのであろうか。かっての英国はじめ先進国では、多くの女性の最高指導者誕生している。「女首相」は珍しいいことではない。

ことさら、首相の前に「女」をつけるのは、女性蔑視のように思える。

女性の最高指導者の誕生の可能性がもっとも低いのは、中国であり、次いでロシアであり、次いで韓国と日本(韓国と日本は同列)である。

追記
東ドイツのホーネッカー議長が1987年にソ連の承認のもと、東ドイツの最高指導者として、始めて西ドイツを訪問できたのである。これが当時の政治情勢であった。

古都

銀助六様>実はワシの個人的な教会を汚されたような気もする。

一瞬ホラ吹き男爵かと思ったら、なにやら本当らしうございますね。彼女にせがまれて偽装結婚でもされた?もっと本格的な物語がありそう。

愚は考えて見ると、あまり高い所に上がったことがありませぬ。古い都市のヘンチクリンな塔には結構上がるけれども、有名な聖堂は、今思うと悉く内外から見上げるだけ。ケルン、サクレ・クール、サン・マルコみな然り。
(それでかように謙虚な人柄が出来たのでございますかな?)

フィレンツェはウフィツィ美術館の3階辺りのテラスのカフェで、コーヒーを飲みながら街を見る位が好きですね。

現地の新聞は「謝罪とは驚いた」という論調だが、聖堂の保存責任者はさすがに、「これを機に、落書きはしないものだという意識を皆に持ってもらいたい。」(おそろく主にイタリー人に宛てたメッセージ)

サミットのときにブッシュ大統領が、福田氏に、中国が西安(唐長安)遷都計画を持っていると耳打ちしたという。韓国の米軍基地からの空襲を避けるために離したいのだという。将棋史調査行を組んだ張本人の愚は行きそびれたが、ともかく西安は大発展中だったという。

日本にとっても大問題らしいが、福田さんはキョトンとしていただけなそうな。

気楽に、という事な

気楽に、という事なので最近ちょっと気になったことでフィレンツェの教会に落書きしたことについて、

非常に重大な責任、とか消しに行かせろ、とか言う人が多いが短大生というまだ半分子供をさらし者にするよりも引率者が見ていたという、大人ひいては文化財の重要性を教えなかった、(かむしろワシの想像では理解していなかった?)大学の責任なのではないか?

見たことのある人も多いと思うがワシにとっては縁の深いところでいろいろな思い出のある町でもある。詳しい事は長くなるので避けるが実はワシの個人的な教会を汚されたような気もする。

しかしながらいたずら書きをした中で日本人は10分の1程度でそれを当局が責めてはフランス、ドイツなどの隣国からのいたずら書き、むしろイタリア人が一番多いかも知れぬ、、、ので当局もあまり言えん事と思う。

あそこは単に高いところからの眺めがいい、という事よりも入り口から何ユーロか払って円蓋の内側に二重構造にして階段を作ったという建築の妙を見て登るものでワシにはそれが興味深かった。高さだけならとなりのジオットの塔のほうが更に高い。

大学は単に浮かれて一緒に行くのではなく参加者には事前にフィレンツェの歴史、文化、芸術的、意義、価値を教えるべきではないのか?但しそれを教えることの出来る教師がいるかはワシは知らんが、、、

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