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世界の将棋史 21世紀の知見初度投稿 06/04/2008 - 08:08 久しぶりに新しいトピックを立てさせて頂きます。2006年の秋から初冬に掛けて駒音掲示板のほうに将棋の起源をめぐって、当時最も新しかった英語論文のいくつかを紹介しました。それが切っ掛けでいろいろ充実した議論や楽しい想像もできました。しかしながら相変わらずチャトランガを巡って昔の誤った知識に基づく棋士の講演も見られるし、最近の駒音掲示板でも、過去の充実していた議論を知ってか知らずか、それが無批判に引用されています。 幸いその部分は今日現在のところはまだ、同掲示板の延長掲示板の過去ログに今回の騒ぎで消えることなくほぼ手付かずで残っているようなので、保存と将棋史再訪を兼ねて、この新しい掲示板で取り上げて行ければと思います。駒音掲示板は上述のいくつかの状況を見ると、このテーマの議論は事実上できなくなったと考えます。 つぎの方針で進めたいと思っております。 ちなみに愚自身も中国での国際会議でこの問題に触れたことがあります。自分の論文が中国語に訳されて居るのを見ると、なんだか自分が大層立派な学者になったようで、不思議な気分になります。「漢文」そっくりなもんで! なお多くの人にとっては日本の将棋の直接の祖先のほうに興味が有ると思います。残念ながら愚自身はこれについては新しい情報は何一つ持っておりません。じつは昨年西安(昔の長安)の博物館への調査行を計画しましたが、外務省の旅券課のミスで出国できないという呆れた事故に遭い果たせませんでした。 |
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パリ戦
やはり美麗なる鎧武者の駒が欲しい。
関心がずっと違うかも、、、?
祝意感謝
(まだパソコン環境が再構築できないことと,さらに将棋関係のファイルの復元がどうやら無理の模様なので,本筋はもうしばらく休ませてください.)
チェス・プログラムが弱いという説が駒音掲示板でもありましたが,70年代初頭でも相当に強かった.ただし当時はパソコンどころかミニコンでもなく普通のコンピュータではありました.その後は,…,結局コンピュータと本気で指す気力など無くなりました.
駒の動きが大きいので,読みにくいという説もあるが,退屈な機械的な読みに精神的に慣れている「碁打ち」系の研究者は,読めると豪語したりしますね.将棋練達者のセンスは侮りがたいと思うので,もう少し様子を伺えたら面白そうです
後,ちょっと別の見方をすると,このごろのチェス・ソフトは,わざと弱くしたり,確率的にわざと最強でない手を混ぜてくるものもあるようです.エール・フランセの中のチェス・ソフトなどは昔のほうが強かったような.すくなくとも今のはお子様レベル.
日本の一流棋士が本気で転向したらどうなるか?片手間で指している限りは,最近の羽生でもフランス辺りの無名の指し手に簡単に負けてますが.
なお駒音にも1,2度書いたことですが,仮に日本将棋がゲームとして世界を席巻する時代が来たとして,羽生が(今の力のままで闘うものとして)世界チャンピオンになれるか?じつは絶対無理とは言わぬが難しいと見ておりまする.すくなくともトップ地位の中長期的持続は不可能ではないだろうか?理由を端的に言えば,技術や知識のほかに,体力を含めた闘争そのものの基礎能力(さらに国際的な政治的交渉力まで問われる!)が日本人には乏しいから.風小僧さんなんかどう思われるかなぁ.
祝100レス!
シャンチーのルールがのみ込めず実戦?とサイトを探していたらチェスゲームを発見。
最弱アマ8級程度で勝つもののどうも手が見えん。
将棋とは全くゲームが違うものか?
森内、佐藤も?に転向を勧めるご意見もあったが世界では完全に引退、転向しないと無理かも?
彼らは強いそうじゃが相撲で言うと小結、、、?
世界の人数で言うと十両やっとかも?
象棋でしたか
パッと見,まさか中国将棋だとは思いもよらず,チェスだと思い込んでいました.改めて見ると九升.それなら大珍品なわけです.
紀元前3世紀には実態はともかく「象」戯というゲームが行われていたので,象は象牙の箸(長いサイコロ)と駒から来たのか,形象の意なのか,象論争がはじまるとこれだけでも難しそうです.
先月トリノの商店街での昼休み時間に,店の前で中国人店主が孫らしき坊やを相手に中国将棋を指して居たのに出会いました.いい情景でした.結構まじめに考えていたようにも見えたし,ゆったりとした雰囲気に浸っているようでもあった.
駒は結構大きかった.麻雀の下駄パイのようなもの.あれなら吹いても飛びませぬ.
バトル・チェスすっかり笑ってしまいました.最初駒の見分け方がよく分からず,ついて行けませんでした.かなり新しい序盤ですね.これを今の画像技術を使って再現したら,楽しいでしょうね.「黒革の手帳」版だと米倉涼子VS釈由美子.(駒音版だと…)
駒の写真
当方が投稿したバンベルグの駒に関し、何人かの方が感想を述べられている。本写真を投稿してよかった。もっといろいろな角度から何枚か写真を撮るべきだと思う。
この写真の撮影日時は、2008年4月18日である。当時本サイトでお宝写真を募集していた。そのお宝写真にはどうか、と思い一枚だけ撮影した。
本スレを教授が建ち上げられたのは、本年6月であった。それまで小生は、世界の将棋史にまったく無頓着であった。要するになにも知らなかった。
さらに日本語の説明だけでなく、英語やドイツ語の説明書をみて、「将棋」に該当する語として、どのような単語が使用されているか調べてくればよかった。
追記
もしドイツに行く機会があれば(今のところ予定はないが)、バンベルグにいって、、「将棋」に該当する語として、英語やドイツ語では、どのような単語が使用されているか調べてきたいと思う。
バンベルグは、ミュンヘンからIC(Inter City)で2時間ぐらいでいける。
ムム!なるほど!
シャンチーも9人か?馬、車はそのまま。銀が糸車のよう、と言ったが象とすればその上に座席か輿をつけたようにも見える。士はたしか真ん中のマスから出られぬ卑屈な従者と言う感じも出ている。
卒、兵が予備に4体あるのは多すぎる、やはり将棋?かと思ったが案外将棋の駒として作ったのではなくシャンチーの駒を兵、卒を9体にして将棋として売り出そうとしかのかも知れん、、、?
飛車発見
「砲」の形をした飛車(であろう)駒を発見。角は他の駒に遮られて確認不可。
(追記)ん???ちょと待てよ。「砲」といったらシャンチーじゃないか(駒の並べ方もそれらしいし)。ひょとしてこれはシャンチーの駒で、横に並べてある「兵」は別のセットからの余りもの?
白磁、青磁
よく見るとなかなかに興味深い。
銀は糸車のような、香ははと車のような桂はチェスのナイトそのまま。
下はチェス板がそのまま使われている。
飛車、角がないが飛車&竜王、角行&竜馬からどのような動物か想像できなかったのかも知れん。
金は宦官のような坊主頭が横を向いて頭金で詰ます重要な駒とは思えない。
時代は戦後と思われるが関係悪化以前の明治大正期も考えられる。
歩は清代の歩兵のよう、とんがり帽子が面白い。
多分駒の動きもルールも分からぬ中国人が作ったものであって、しかし文字駒を理解せぬドイツ人がこれが本物の将棋と思い展示した可能性はある。
中国からの駒
拡大写真をみると、白色の駒と青色に着色された駒とは対称になっていますね。今まで気がつきませんでした。
日本語の説明ではその駒は、「将棋」となっていましたが、英語の説明では、「Chess」となっていたような気がする。ドイツには[Shogi]という言葉がないようの思われるからである。
訳された方が「Chess」を「将棋」と訳したのだろう。英語の説明を見てくればよかった。
バトルチェス(Battle Chess)
一昔前にこんなチェスのプログラムがありましたのう。戦闘シーンは3:00辺りから開始します。
立体駒
白磁と青は青磁のようにも見えるが?両方の技術とすると値もはるかも知れん。
駒は美術品としての価値もあり欧州には本当に美しいのもある。
ローマ兵士風、中世の騎士など欲しくなったらきりがないような?
ワシは将棋の駒は一つだけ、道場の賞品で貰ったものでプラではいいものだが本格的駒を持つ気もない。
なるほどpcなら色も変えられるようじゃ。
自由な発想があっても良い。
立体駒でも子供用に熊さんとライオンも良いし、家康対秀吉、清盛対頼朝が考えられるが?
紀香と米倉涼子で負けると水着になるなんていうのもいいのう!
天童だけに駒の生産を任せるのではなく地方産業の発掘になるかも知れん。
陶器の写真
下の写真は、同じバンベルグの市立博物館で撮った陶器の写真です。日本語の説明は
見てきませんでした。この陶器から判断して、将棋駒も陶器だと思います。
(webMaster注)クリックで拡大
白磁でしょうが時代は?
この写真は一眼レフで広角で撮ったのですか?今だとデジカメかな.見事に撮影されていますね.
チェス駒が中国で作られるようになったのは,輸出と居留民のためでしょうから,早くて植民地時代の先駆けの時期ではないでしょうか?
3人チェスもなんとも面白そうですね.以前ダイナマイト様が4人制チャトランガ(チャトラジ)をめぐって指摘されたような意味で,楽しみ方の幅が大いに広がることでしょうね.これにサイコロによる偶然性を取り入れたら,ますますそうなるわけですね.
将棋駒の立体化については駒音掲示板でも大分議論しましたね.後で少し発掘を試みます.私も含めて当時出なかったアイディアとしては,コンピュータでやれば色を変えることを含めて自由自在だということがあります.最近のコンピューター・チェスの画面は素晴らしいですから.
ついでにエロティック・チェスなんてのもあるが,アダルトという意味でなく,紀香と米倉涼子を女王にして大画面で指してみたい.将棋の場合,空港で土産用に売っている顔絵の将棋駒の源平版で,静御前と常盤御前は何になっていたのだったかしらん.
白磁かな?
宋代で盛んになった白磁のように見える、、、
欧州では立体駒が普通で東洋の文字駒は合わん、それに文字は各国で翻訳すると言葉が違うので混乱の原因にも、、、
本当に普及させる気があるのなら立体駒の開発が必要か?
王様もどう見ても中国風、、、金は戦うと言うより侍従か宦官のような?
成りは台に何か印をつけることで解決可能か?
バンベルグ
バンベルグは、日本の京都や奈良と同じで、第二次世界大戦で被災しなかった。
バンベルグは、レグニッツ川を境に旧市街と新市街とからなっている。
新市街は、ドイツの他の都市と変わらない。旧市街は、2~3百年経った家並みが残っていた。
将棋駒が陳列されている博物館は、レグニッツ川の真ん中に建っていた。両側から橋が架かっている。
バンベルグには、ドイツ各地から団体の観光客が多く来ていた。その団体の観光客は、市の職員と思われるガイドの案内で歩いて旧市街を観光されていた。そのガイドの1人(女性)に当方は頭を下げられた。
日本のある旅行会社が企画した日本人団体観光客と出合った。その日本人団体観光客は、いずれかの都市からバスで来て、バンベルグで食事し、旧市街の古い町並みが見える高台で日本人ガイドから説明を聞いていた。いずれの建物の中にも入らず、次の都市に向かうようだった。
観光用インフォメーションセンターがあり、そこで「バンベルグ」という日本語の説明書(6ユーロ)がおいてあった。
朝、バンベルグ駅へタクシーで出発した。banberg stationと英語で言ったつもりが、当方の発音が極めて下手で、連れて行かれた先は、観光用インフォメーションセンターであった。
陶器かな?
なかなか見ることの出来ない珍しい画像の投稿、感謝感謝です。
光沢、黒側が青色に彩色されている所から見て、陶器かもしれません。
中国からヨーロッパに輸出された陶器(主に食器)にこの色系の青で彩色が施されていました。
中国から輸入された将棋
下の写真は、ドイツのバンベルグの市立博物館に陳列されていました。ガラス越し
なのでうまくは取れていません。
博物館には、日本語の説明があり、その写真は、将棋(中国将棋ではない)となって
おり、中国から輸入されたとありました。輸入の時期の記載がありませんでした。材
質は、大理石のような感じがしました。
(webMaster注)画像クリックで拡大です。
三人用チェス
愉快だったので歴史とは関係が無いですが投稿しまっす。
あれっま
>投稿環境に故障が生じてしまいました
いち早い復旧をお待ちいたします。
お断り
そろそろ先を書こうと思っていたところ、投稿環境に故障が生じてしまいましたので、このまましばらくお休みします。
前回御紹介した甲骨文字のリンク先は、書家のサイトなので、それだけに分かりやすいけれど、無論もう少し学術的な印象のものもあります。それは壊れたパソコンのほうに入っていて復元不可能ですが、またネットで見つかれば、掲載します。
甲骨文字の実像
銀碩学様ほか,問題の御指摘等有難うございます.これからも活発な御議論や御教示を楽しみにしております.とりあえず一,二.
●甲骨文字は占いをした亀甲そのものに文章を彫り込んだのが原点(あるいは原典というべきか)とのことです.本コメント末尾のリンク先に,初期の典型例と,解説が有ります.
●いわゆる易姓革命思想があるので,中国の王朝は必ず先朝の史書を編纂し,王権交代を正当化した.今回の本はヨタ話かもしれないが(♪),問題意識としては,その見方を殷と周との関係についても適用し,ある程度実証できたとするつもりかもしれませぬ.
●広い意味で,白川氏らの同業者として,新しい研究には共感を持ちます.(チェス史も同様) 今回の場合には,宮崎氏との比較ではつぎの諸点が上げられましょう.
1.考古学者と歴史学者の違いに似たものが有りうる.
2.白川氏のほうが数年若い.通常は後の世代の方が視点が新しく,学力も高い.(ピタゴラスやユークリッドやアルキメデスより,私の数学や物理学の知識が「優れて」いることに通じる! 教授より助教授のほうが学力が高くないようでは困る.新制度の准教授はそうとは限らぬかもしれませぬがなあ?)
3.宮崎氏は京大で君臨,白川氏は立命館に拠った.影響力や権威の差は割り引くべき.
ただし,今回の本と白川氏との関係は,未だ確認しておりませぬし,そもそも殆ど知らなかったテーマなので,皆様と議論しながら知識を深めたい段階です.
http://images.google.co.jp/imgres?imgurl=http://www.yohseikai.com/W-285....
♪ 重村さん(静岡大?→早稲田)の「金正日は死んでいる」本の評判は,その後どうなったでしょうか.
夏桀殷紂
一度HNにしようと思ったこともあるが、、、誰が読んでくれるのか疑問で中止。極めて温厚ながら酒と女性と裸は好き、というより一人の時、ビーチでは服を着るのが面倒くさい。
なんとなくwikiを見たが殷紂は普通の人、という説も?
家康が豊臣政権を乗っ取った、という庶民の感情があれば仮に数百年たって記憶がなくなった頃に秀頼と秀次と混同し、家来を何人も殺したとか女性をどうしたかと説を作り乗っ取ったのではなく、悪逆非道の人間を正義を守るために止む得ず立ち上がり滅ぼした、正義のヒーローという役割が良い、という事はありうる。
ウィキは読者が書き加えて作るもの?参考にするには良いものか?伝統的歴史史観からするとやや違和感があるが、、、?
東照大権現
政権をとればその創始者を神格化するのは普通であり、そして前政権の神格化を否定するのは当然。神様が二人居ては困る、、、
酒池肉林というのは政治を何もしないで酒色にふけったという意味でその政治そのものを否定する。家康は統一後現実に秀吉の家臣となったのであり五大老筆頭、後の大老のようなものでそれを否定すれば家康自身を否定することとなるよ。
前政権への復讐
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E8%87%A3%E7%A7%80%E5%90%89
『死後、京都東山の阿弥陀ヶ峰(現在の豊国廟)に葬られ、豊国大明神として豊国神社(京都)に祀られたが、豊臣家滅亡後、徳川家康により大明神の号は剥奪された。この時、建物も破却されることになりかけたが、秀吉の正室であった高台院の嘆願により、外苑部分は破却されるが内苑(本殿など)は残されていた。この際に建造物の一部は片桐且元らによって宝厳寺や都久夫須麻神社等に移築されたともされる。その後三代将軍家光の時代幕府により社領も没収、社殿などは次々と破却、あるいは解体処分とされてしまい、豊国神社の敷地は荒れるがままであったと言う。』
天下を手中に収めた徳川家にすれば前政権の秀吉を「神」として祭るのはもっての外。その存在を否定するが如くにやりたい放題… そして家康本人は(秀吉の真似?)死後「東照大権現」の神号を贈られる。
疑問百出、、、?
>周王朝正当化
まず一度政権をとれば前王朝を非難し貶める必要など一切ない。家康が足利政権が悪かった、とか豊臣が悪逆非道などという必要もない。
>酒池肉林
これは後世の言葉で殷の時代にそのようなことは言われない。単に女好きで酒を飲んだというだけのことでこれは誰にでもある。ただ悪政で評判が悪かったからこう言われただけの事。
大奥と比べてもせいぜい数百人で可愛い物だったかも?
晋の武帝は後宮一万人といわれた。毎日一人でも30年!!!これは商売人の玄関先の置き塩?の発生として有名。
>甲骨文字記録
なんてものがあるのは知らなかった、、、が?、、、
歴史資料として認められているものなのか?
第一、亀の甲羅や骨にまとまったことを書けるものか?
骨なんてすぐ折れるもので形が今まで残ってるはずもないこと。
周になって竹簡が工夫され始めて保存に適したものが出来たはず?
>白川静
というのは知らなかったが漢字学者、漢文学者とすると歴史についての考察が足らないのではないか?
甲骨文字なんていうのは象形文字の発明として意味があるのであって後世の漢字のように歴史とか人間とか抽象的なものを記録するほどには発達してないはずだが、、、?
歴史を研究していない学者がムリヤリ専門外のことを認めさせたような気配はする、、、?教授も、、、?
>研究者以外でも
なにやら怪しい名前が一人入って居るがやはりwikiは信用できん、、、?聞いた事もない。
シルクロードで図書館に行ってみたがBritanikaはなかった。平凡社なら信用できると思うが?
間に合いましたので一筆
銀様 御指摘感謝
私の要約文にも一箇所端折り過ぎでミスが入ってしまいました。周はいうまでもなく殷の次。(だからこそ周王朝正当化説も一定の説得力が生じうる。)尚書、詩経が殷滅亡(周成立)数世紀後。
今回のキーワードは甲骨文字の「先王の祭祀記録」で、これには膨大な数があるという。それによれば紂=帝辛は先王の祭祀を良くしていたが、「酒池肉林」に通じる甲骨文字記録は一切無い。
その精緻な読み解きには、日本人研究者の功績も大きかったが、中国ではその成果が殆ど顧みられず下火という。
この辺りが、いろいろなことが考えられて、面白いところです。
白川静といえばビッグネームですが、その正統的継承者はどうしているのでしょう。
御教示いただいた宮崎市定の名前はおぼろげながら知っておりましたが、ウィキに次の記載があるのがまた面白いです。
…また研究者以外でも、司馬遼太郎・谷沢永一・向井敏・松本清張・米長邦雄などがの研究を引用している。
甲骨文字、
甲骨文とも。亀の甲羅(腹甲)や牛や鹿の骨(肩胛骨)に刻まれた (wiki)
>甲骨文字の原典をいくら読んでも、、、
そんなもの自体が存在しない。占いのためとされている。
新説、奇説、珍説はいくらでもあるがすぐ消える。
古くは源義経ジンギスカン伝説、新しくは最近のtvでもやっていた秀頼九州薩摩生存説、信長は生きていた、というのもあったか?
>周は殷滅亡後数百年後の王朝。
殷滅亡後直後の王朝であってこれも誤り。
初学から間違いがあるがそんな本を読むより宮崎市定をお勧めする。大体において間違いはない。
新説ではないが源頼朝の死因については諸説ある。調べてみると面白いかも?
しかし殷チュウにせよ結局はタイムマシンでも発明されない限り決定は出来ない。家康は死んでいた、なんてのもあったが切りがない。
甲骨文字と史記
『白川静さんに学ぶ ― 漢字は怖い』(小山鉄郎、共同通信社2007)という本の冒頭でいきなり、将棋にもそのリューボ由来説にも縁がある「王」の字の『設文解字』(紀元百年頃)の説の誤りが指摘されています。
漢字はご存知の通り殷の時代に出来た。『設文解字』はその約千年後に書かれたものだから、その又2千年近く後の現代になって、甲骨文字そのものの出土品も増えて、その科学的研究が進めば、紀元頃のさまざまな解説が「説話」に転落するのは当然のことです。
『甲骨文字に歴史を読む』(落合淳思、ちくま新書2008)は未だ入手できておりませんが、その海部評(毎日新聞8/31)の見出しは、
「殷の紂王の酒池肉林は作り話だった」
司馬遷が史記(銀様が言及しておられる)を書くときに参照したのは周代の『尚書』、『詩経』(ご存知の通り孔子が編んだとされる)だが、現代になって、甲骨文字の原典をいくら読んでも、そんな気配は微塵も無い!
周は殷滅亡後数百年後の王朝。歴史を改竄して、周王朝の正当化をしたと見るべきだというのです。
[お断り]国際委員会出席のためしばらくお休みします。日頃の御愛読に感謝申し上げます。
天童、ペシャワール会、史記
WEBマスター様 コメント有難うございます。
このページは、駒音掲示板で議論していたころ、天童にお小遣いで「無剣」(裏朱)を発注したときに見て居て、インド起源説を無邪気に信じているのは無理からぬこととして、イタリーの人間将棋にも触れていたことで、印象に残っています。
なお大分以前中国人によるサイトも御紹介いただきましたが、その方は香港と大阪に拠点があるようで、内容は、日本の通説であるインド起源説そのものを中国語にしたものですね。
ペシャワール会の伊藤さん(31)という農業青年が、悼ましくも27日にアフガンで殺害されました。ペシャワールは以前書いたようにパキスタン領内。北西の縁に近い。
1947年までパキスタンはインドの一部だったから、仮にヨステンのクシャン説が正しいとなっても、それもインド起源説だと言い張る人が、まだ当分日本の人口の中に居るかもしれません。
昭和30年代でも、たしか中学や高校の先生方は、パンジャブ、カシミールなどはインドの一部であるという認識で教えていたような気がします。カシミール問題で争った第3次印パ戦争は1971だった(ウィキ)。
医学の定説は、メタボ問題のように案外コロコロ変わるし、その医療への反映も素早い。しかし歴史の通説が、見直されることにも、その後社会全般に浸透するまでにも、それぞれ長大な年月が掛かります。
次稿では「史記」の大嘘なるものをご紹介します。(もちろん受け売りです。)
将棋の原形
http://www.yomiuri.co.jp/tabi/domestic/japan/20080428tb01.htm?from=nwla
記事は天童市の紹介ですが、目に止まったのでメモります。
『古代インドで生まれた将棋の原形が世界各地に伝わり、今では数十種類の「将棋」に発展している。』