世界の将棋史 21世紀の知見

初度投稿 06/04/2008 - 08:08
改訂 2008/06/05夕 

久しぶりに新しいトピックを立てさせて頂きます。2006年の秋から初冬に掛けて駒音掲示板のほうに将棋の起源をめぐって、当時最も新しかった英語論文のいくつかを紹介しました。それが切っ掛けでいろいろ充実した議論や楽しい想像もできました。しかしながら相変わらずチャトランガを巡って昔の誤った知識に基づく棋士の講演も見られるし、最近の駒音掲示板でも、過去の充実していた議論を知ってか知らずか、それが無批判に引用されています。

幸いその部分は今日現在のところはまだ、同掲示板の延長掲示板の過去ログに今回の騒ぎで消えることなくほぼ手付かずで残っているようなので、保存と将棋史再訪を兼ねて、この新しい掲示板で取り上げて行ければと思います。駒音掲示板は上述のいくつかの状況を見ると、このテーマの議論は事実上できなくなったと考えます。

つぎの方針で進めたいと思っております。
●著作権の問題が明らかでない(ある程度は自分達が新しい模範的慣行を作らねばならぬ立場である)ので、愚自身は愚文以外は丸写ししない。
●資料の部分と、推理の部分、さらには「遊び」、「空想」の部分は明確に分ける。
●なるべくこの1年余りの更なる進歩を確認する。ただし直接著書を入手することは費用、手間の関係で困難があるので、主にインターネット上の論文による。(愚の分野ならば審査が無いと載らないいわゆる電子雑誌がいくつもあって、単行本はもちろん活字雑誌に劣らず信用できる時代です。)
●愚としては、当面チェスとシャンチーの起源と、それとチャトランガの関係の資料提供から入ります。少なくとも日中ないしアジア友好に関る棋士が誤った知識のまま不用意に日本や中国の国際場面で講演されるのは好ましくない。特に最近の中国人にはこの分野の著名学者も出ていますから、気付かれたら国際問題にもなりかねません。

ちなみに愚自身も中国での国際会議でこの問題に触れたことがあります。自分の論文が中国語に訳されて居るのを見ると、なんだか自分が大層立派な学者になったようで、不思議な気分になります。「漢文」そっくりなもんで!

なお多くの人にとっては日本の将棋の直接の祖先のほうに興味が有ると思います。残念ながら愚自身はこれについては新しい情報は何一つ持っておりません。じつは昨年西安(昔の長安)の博物館への調査行を計画しましたが、外務省の旅券課のミスで出国できないという呆れた事故に遭い果たせませんでした。

投稿者: 歩曼陀羅華 投稿日時: 水, 06/04/2008 - 08:08 categories [ ]

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〝百科全書とフランス人 = サンスクリット文献とインド人〟ではないのか?

>象棋

仏教用語についてサンスクリットの先行性を疑ったりしたら,常人扱いされなくなるでせうが,愚はつぎのようなことさえも可能だったのではないかと見始めております.

仏典の中に有る諸観念は,しばしば人類に普遍的なものであり,其れゆえ亦,当時はもとより現代に到るも尊ばれる.すると仏典はインド文化のみならず当時の隣接地域一帯の「共通の知性」を反映して居たに違いない.

いや愚の記憶によれば,事実,そもそも第何次かのサンスクリットは,隣接地域の言語から派生(借用~洗練)している.

愚は,玄奘が受け取った経典が,果たしていつの時代にどの地域で編まれたものかさえ知りませぬが,クシャン帝国で首都をペシャワールに置いたカニシカ王朝が,その源流に寄与して居ることは,少なくとも日本史における古事記以上に信用できませう.

ペシャワールが栄えたのは,漢代(後漢)だから,唐長安より数世紀古いけれども,玄奘が受け取った版の仏典が編纂された時代は,長安のほうがシルクロードの起点として栄えており,さまざまな中国文化の知識が,クシャン時代以来のヘレニズム文化の知識とともに,サンスクリットの語彙や文献に移入されたと考えるのは,極く当然ではないかと思います.

仏典そのものは伝統的なものだから値打ちは特別に高いが,他のサンスクリット文献は,その時代を反映した記録と言う意味で,無論これまた大変な価値はあるが,その編者が属する国家や民族が,即その文化の発明者ということにはならない.

例えて言えば,百科全書はフランスで編まれたが,いかなフランスかぶれでも,正気ならば,そこに網羅された知識が全てフランス人によって発明・発見されたとは思わない.(※)

しかし,サンスクリット文献とインド人については,そう思わない愚のほうが,奇人変人狂人なのでせうか?

「象」が先か「チャトラ」(フランス語のクヮトルや英語のクォーターに繋がるのでしたか?)が先かという.水晶の兎様の提起された問題は,従来の常識から見れば,奇警に感じなくも有りませんが,じつに大きなものを含んでおりますね.

※ そうそう大漢和にも漢語を見出しにした大百科事典の趣あり,象棋と象戯の項目をうっかり読むと,事前の知識が全くなければ,日本人が発明したのか中国人が発明したのか分からないものが有ったような.ことほど左様に,書いた人の国籍と発明者や利用者の国籍は混同されやすい.大漢和のように出典を丁寧に記載して居てさえもそうなる.

なお後(だったと記憶.総画数のせいか部首のせいかは無学にして識らず)の象戯のほうが詳しくて,玄怪録も引用されていたが,寶應象棋と日月星辰がそこに記載されて居たという記憶はもうありませぬ.(このところ加齢か暑さかその両方かで,記憶違いがときどき有りまする.)

ついでながら先日本屋に寄ったときに見たら,皮肉なことに大漢和の大修館の一般向け四字熟語辞典では「ニチゲツセイシン」,学研のほうが「ジツゲツセイシン」.しかも学研のほうが別読みがあることを記載して居たと思う.

象棋とチャトランガの名称のつながり

この掲示板の古い議論を読むと、チャトランガは1/4を表していたとのこと。先日書きましたが、中国では象の字は四つの事象を表していました。この2つの遊戯の名称には通底するものがあるように思います。文化が伝播したものと考え、北周象戯→寶應象棋→北宋象戯に連続性があったとするとインド→中国ルート説では、北周象戯に日月星辰が使われたいたことへの説明がつかないということになると思います。北周象棋→寶應象棋→北宋象棋が連続していたと仮定するなら中国→インドルート説の方が有力と思えます。

星辰儀 プラネタリウム

たしかプラネタリウムの古称だった筈と思い,手元の書物から見つけるのは無理でももしかしたらネットに有るかと探したら,その痕跡を見つけることができました.

http://www.tanken.com/tenmon.html (国立天文台サイト)

逆にWikiには,プラネタリウムが〝天象儀〟と訳されることも有ると記載.

水晶の兎様が,故事来歴はともかく,なぜジツゲツセイシンという普通の読みをわざわざ確められたのか不思議でしたが,ネト繰っている内に気付きました.

なんとニチゲツセイシンを見出し語にしているネット四字熟語辞書があるのですね.「ニチ」は呉音でせうから,これは俗読みではないでせうか?

呉音なら,つぎのニチガツショウシンを信用します.

http://nichigatsu.sblo.jp/ (高野山系団体サイト)

なおプラネタリウムの直訳は惑星儀とすべきところ,そう訳されたことは無かったようですね.

日月星辰について

今日は体調不良で会社を休みましたが、夕刻に回復したので図書館で調べ物をしてきました。
大漢和によると日月星辰はジツゲツセイシンと発音するのが漢文訓読の倣いのようです。
意味は日、月、星の天体を指し、以下のような古い用例があるそうです。
書経に「暦は日月星辰を象る」
礼記に「日月星辰を祀りて、ユウ燎*す」
両方とも儒学の五経に含まれる本で、相当、古い成立です(少なくとも紀元前)。
また、漢書には「日月乱行し、星辰逆行す」という記述があるそうです。

他にも将棋関連で色々資料を物色しました。これらは盤側の方に少しづつ書くつもりです。

*ユウは木へんにつくりは酉で、あしは連火。ATOKでは入力不可能なよう。ユウ燎は薪を積んで焼く古代の祭儀。

14世紀の文献

>《佛祖通載》

これには1341年という年度が付けられているのですね.この段階で,信頼できる伝承を記載したものなのでせうが,かりに単なる当時の憶説だったとしても,2000年前後の西側研究者の説と,中国か中東かの違いは有るものの,チェス・象戯発明の本質的経過については一致した見解ということになり,それだけでも驚嘆すべきことだと思います.

天文盤ですか

今日は大漢和にあたるつもりで、帰宅前に遠回りをしたのですが、あいにく図書館が休みでした「日月星辰」ですがネット検索したところ、熟語として書経に出典ありとのことです。きちんと勉強した東洋史の学徒なら、すぐに解ったのでしょうが。バビロニア天文盤との関連説は面白そうですね。私は漢字文化圏以外のものは、英文の二次史料を除いて手が出ませんが。

「将棋には戦略以外に天文学、易学、宗教なども織り込まれているのに、『あ、これは升田の将棋』だといわれた、個性が滲み出たもの、これを芸という」(升田幸三元名人)
最近、この言葉の意味が、だいぶ、解るようになってきました。果たして升田先生は、どこまで将棋史に通じておられたのか。はかりしれません。

市松模様

水晶の兎様の御説明の中で,盤が黒白に塗り分けられているというのはとても印象的です.というのは愚の知る限りでは文献上(といっても愚はネットでめぼしいものを読んでいるのでいわゆる1次資料には程遠いのですが)盤としてのアシュタパダは塗り分けられていなかったと断定されているので.

それから,日月星辰となると,ますますバビロニア以来の天文盤と通じるものが有ります.クシャン説では,盤上の惑星の移動から,愚が日本語で「多動駒」と名付けた種類の駒が生まれたとする.典型的なのは桂馬や象.もしかしたらチェスでポーンが最初に2つ進めるオプションが有るのも(誰も言って居ませぬが)その名残かも知れません.文学的に書かれた文化史の言い方をすれば,現代のチェス駒の動きの中に遥かなる発生時の記憶が有る…とか.

補足の補足

中国版wikipediaでは寶應象棋の項に「棋盤是八乘八的黑白格子,且棋子為立體造型,走於格子,而非交點」と書いてあります。つまり、8x8の盤において、格子は黒白であり、駒は立体、駒の置き場所は交点ではなく、升の中においていたと言っているわけです。私が黒と白から連想するのは囲碁と同様、陰陽二元論です。
また以下のような記述もあります。

> 《佛祖通載》卷二二,載「始以車、馬、將、卒代日、月、星、辰者,豈異人乎,正牛僧孺耳。」

日月星辰(隋書で見られた象棋類の内容)を、車(チャリオット)、馬、象、卒(兵卒)に変えたのは牛僧孺であると書いています。

※この内容ですが、私は現状、別名で盤側をメインに書いているので、後日考えがまとまったら向こうにも転載する可能性があります。

補足説明

>しかも日本将棋が発明されたときには,升目を使う双六も交点を使う碁も良く知られて居た.
>そこに中国将棋の現物か知識かが入ってきたら,普及段階でこの程度の変化が生じたとしても何の不思議も無い.

盤側には既に書いてありますが『寶應象棋』の段階では8x8の盤目の交点ではなく升目の中に駒を置いていたわけです。その後の北宋象棋の時代では交点に駒を置くようになっていたとのことなので、この点においては変質したのは、日本将棋ではなく、中国将棋の方でありましょう。ただし9x9への変化は日本独自のものだったのかどうか検討の余地があると思います。

> 百年前に日本の田舎で民間伝承や習俗を調べた柳田国男のような方法が,現代中国で,
> 千年以上(もしかしたら二千年余)昔の中国将棋の起原を探るために有効とは考えにくいけれども,
> 全くの無駄,無関係とも言えないかもしれません.

これは、学問上でも実際にそういう批判が出ることがあるようですが、文化史研究の際には、こういったフィールドワークをある程度やるようになっているのが近年の傾向だと思います。また、隋史に名が残る象棋書『象経』には日月星辰(私がこの記述から連想するのは二十八宿のような内容です)などの名が残っているとのことなので、中国的宇宙観(易も一つの幹)が初期の象棋類で強く反映されていたということは、割と有力だと現段階では考えています。

8x8

...我に言わせれば、盤の升目が8x8なのは「8等分は線引きが楽」...と案外実用的な理由から決まったのでは???...と、思ってみた。

つまり、8 = 2 x 2 x 2 なので升の線引きのための「あたり」を付けるのが3等分より楽だから。

http://money.howstuffworks.com/personal-finance/financial-planning/stock...

数年前までNYSE(ニューヨーク株式市場)でも株価の端数に小数点を用いず2・4・8・16・32分の1単位で表示していました。これも「分割が簡単な数字」に由来します。当時の通貨であった金銀を誤魔化しなく分けるには2等分にして天秤に掛けるのが一番明確な方法でしたから...

〝八〟について

折を見て書くつもりでしたが,駒音で議論をして居たとき武者野氏から,中国将棋が日本将棋の先祖なら,〝九〟は合致するが,なぜ交点が升目になったか疑問だとの指摘が有りました.

愚から見れば,それはちょっと賢い子供なら,変えられることに気づく程度の話.(当時駒音切っての数学通から愚に対する反論が有りましたが,一般的定理と個別的な現象に気づくことの間には大きな隔たりが有ることは,ニュートンのリンゴの実の逸話でも明らか.)

しかも日本将棋が発明されたときには,升目を使う双六も交点を使う碁も良く知られて居た.そこに中国将棋の現物か知識かが入ってきたら,普及段階でこの程度の変化が生じたとしても何の不思議も無い.

とくに日本人は,良くも悪くも,器用な細工師であり,基本は便宜主義,御都合主義,現実主義,折衷主義,融合主義なので,何でも有ったことでせう.

発明そのものの難易度よりも,むしろ,盤駒のスタイルのどちらが人々(貴族・僧侶か庶民かは知らぬが)に受け入れやすく普及しやすかったかの問題でせう.

それは「八」か「九」かという数の好みも含めて,文化人類学や民俗学の領域かもしれませぬ.その意味では,

>中国で聞いた古老の話

百年前に日本の田舎で民間伝承や習俗を調べた柳田国男のような方法が,現代中国で,千年以上(もしかしたら二千年余)昔の中国将棋の起原を探るために有効とは考えにくいけれども,全くの無駄,無関係とも言えないかもしれません.

なお「象」という文字自体について考えるなら,チェスの一つの起原とされる「天象儀」も有るわけで,以前クシャン説を御紹介するときは「天文儀(盤)」とかと訳しましたが,無論同じもの.さすがにその著者は漢字の知識は無いでせうから,この事実を指摘するのは,本稿が世界初やも知れませぬ.

いずれにせよ〝八〟が中国将棋史に登場したことは,愚の知る限りでは画期的なことで,もしチェスの発祥地が中国で無かったとしても,日本将棋史の根幹に衝撃を与えるべき(愚はその方面はファンタジーでしか接して居りませぬから分かりませぬが)ことではないでせうか.

〝八〟については,チャトランガよりは古い歴史が信用できそうなアシュタパダ(8×8升の盤.またその上で行われるレース・ゲーム.紀元前後には存在していたように見える.)について,新しい読者のために一言.

アシュタ サンスクリットで8.(ドイツ語の8[アハト]などと同語源.)
パーダ  サンスクリットでは脚.

合わせて「蜘蛛」の意味も有る.雑駁な論文や解説ではアシュタパダ=チャトランガとしていたりする.(パーダについてはなにかでチェス盤の升というそのものズバリの訳も見かけた覚えが有るが,サンスクリットで無くペルシャ語‐英語辞典だったかもしれない.)

いずれにせよ,中国の学者は必ずしもというより,人によっては,全然サンスクリット文献を信用して居ない.というのは,現代の人が読んで居るのは,それ以前の本の写本と言う別文字[別言語と言う見方もできる.]の10~12世紀以降(この間にも文字[言語]が変わって居たのではなかったか?)の文献を19~20世紀になって英語訳した物なので,チャトランガに限らず,それが発明されたとか行われて居たと主張されている時代の言葉や文字での本では全然ない.

これに比べれば中国文献のほうが遥かに,当時と「同時代的」で,論語が孔子の死後編まれた程度の遅れしか無い.そしてそれを直接読める人が中国や台湾はもとより,水晶の兎様のように日本にも大勢居られる!これは素晴らしいことで,その研究に期待するところ大です.

愚は旅先で美女に迫られた頃スペイン語ができないことを大いに悔やんだものでしたが,チェスのクシャン発明説を知ってからは,ペルシャ語の知識が全然無いことを悔やんで居ります.せめて現代イラン語を多少なりとも知って居たら又視野が広がるので御座いませうが.

(以前調べたことの記憶で書いているので,間違いに気づいたら訂正しますが,大筋では確かなつもりです.)

つらつらと

歩曼陀羅華氏は、御理解の上の発言だと思いますが、寶應象棋の時代には象棋の原型が確実に見られるというだけで、これ以前に無かったとも勿論言えませぬ。ただ、8x8が将棋類の原型だったとすると中国には8x8にする積極的な理由が存在したとは言えると思います。湯川恵子氏が中国で聞いた古老の話では、象棋の「象」は太極が両儀に分かれ、さらに四象に分かれる、その象に由来して象棋という名がついたということでありました。つまり象棋と易学的世界観は密接なつながりがあったと今日でも考えられているわけです。
そのうち、暇を見て『大漢和』で棋や象棋、象戲の古い用例をあたってみるつもりです。それだけでも何か解る可能性があります。

そこで〇〇は考えた

水晶の兎様>寶應象棋が(中略)中国起源説は、かなり有力に思えてきました。

〃>寶應年間(762年—763年)

8世紀となると,インドからペルシャにチャトランガが7世紀に伝わった文献上の証拠が有ると主張するインド起源説の人々は,むしろこれをも自説の補強材料に利用しかねません.

ただほんの十数年前まで,チェスの前身として有力だった4人制チャトランガは,最近は10世紀より前では有り得ないことが確定したらしい.

となると果たして,今やチェスの主たる祖とされつつ有る2人制のチャトランガにしたところで,正体は何か,文献は本当にそう読むべきなのか,再出発すべきでは有りませう.

というのは,例えば,何人制かは知らず,チャトランガそのものの記述も8世紀以降で,真に確認できるのは10世紀以後という説も過去数年間に見た覚えが有るからです.

愚のようなシロートは,(日本のことはともかく,国際的な学者なるものの世界そのものについては熟知していることを加味して受け取って頂いても結構ですが),最近のインド起原派の動向は,科学的には,あるいは史学的には,俗説同然だった物に矛盾が生じて,苦し紛れにさまざまなことを言い立てているのかもしれないとさえ感じなくも有りません.

(ここでサパー)

中国起源説が有力に思えてきました

個人的には、寶應象棋が8x8であった点、チャトランガ、チェスが8x8であることを考えると、チェス類の中国起源説は、かなり有力に思えてきました。64卦の小宇宙を盤上に投影したと考えると8x8であることの説明がつくので。

歴史的必然 ついに出(はじめ)た!

どうも人生でも最長最高の暑さに出会っているようです.

〇原因が地球温暖化か間氷期の一つに過ぎぬかも問題だが,暑くて頭が働かないのに変わりは無い(南方熊楠)

〇盂蘭盆の語源を探ると,イラン系の言語の〝ウルヴァン(=死者の霊魂)〟ではないか,という説もあるようです.(磯山正邦)

前のほうの作者等には責任は持ちませんが,後の方の出典は菩提寺†から届いた真言宗智山派の季刊誌『生きる力SHINGON』61号(p.6).著者の磯山氏は智山教化センター

http://www.chisan.or.jp/chisan/center/index.html

所員と名乗って居られる.

いうまでもなくここで注目すべきことは,従来サンスクリットのほうが古いものとされ圧倒的権威を誇っていたものが,イラン系つまり中東語のほうに語源が有り得ることが,ついに仏教研究者からも指摘され始めたことです.

記事のタイトルは『お盆って何?』で,無論その数行前にサンスクリットのウランバナ→盂蘭盆→お盆という皆が知ってる由来を記している.

ときに誇大というべきほどに過大評価されて来たインド~サンスクリット文化.今漸く中東文明に歴史の光が当てられる.折しも盤側談話室では中国文明~日本文化の中の将棋研究がおこなわれて居ます.中国文明史の復興と中東文明史の勃興は歴史的必然だと思うわけです.

チェス史も20世初頭のマーレイの蒙を払い,クシャン説と中国説を軸にして再構築される日がいずれ来るでせう.イランの現状は惜しんでも余りあるが.

†愚は日蓮宗ですが,真言宗のお墓も守っています.

確かに

当時調べた楚辞補注の解釈では、象牙の箸をサイコロ代わりに使っていたと記憶しています。
鶴間教授の指摘はサイコロと、象牙の箸は別の用途(易でいう算木)で使われていたという内容で、
我々にとっては新説だとは思います。
それでも中国語、英文の俗説、幸田露伴の論評等、個人で探求できることも、まだまだ、
ありそうなので、細々と将棋史探訪は続けてみたいと思っています。もし、気が向いたら参加/論評
情報提供などお願いします。

竹箸と象牙の箸

水晶の兎様から御紹介いただいた掲示板の記事を通読しました.『続』の冒頭で気になったのが,竹箸が点棒だということ.

宮廷の六博(元字は竹冠があった.)の情景には,象牙の箸を六度投げ,(駒を)六度進める旨歌われていたと思う.楚辭の「篦蔽象棋有六簙些」の後ではなかったか.

これについて確認したことは,箸にはサイコロの意味が有り,少なくとも上の場合には箸は,(もしかしたら韓国将棋風に棒状の)サイコロだった.

当時多分筒井氏の紹介で,ネットで原文に当たっただけでなく,(私が客座教授をしている)中国の大学の仏教史および仏教哲学の助教授(大谷大学で博士を取られた中国人学者)の協力も頂いて再確認もしたことだった.(日中の学術交流を推進し,学術・文化交流史を研究する部門のメンバー同士.)

この頃は駒音掲示板の多分裏の話題にして居たので,今過去ログを当ってみたが,古いページはアクセス・エラーが出るし,検索機能もなにやら変なので,サルベージすることは一旦取りやめた.

いずれにせよここしばらく,中国を訪れて居ないし,中国と将棋ないしチェスの発祥についての調査(中国人学者側の見解を含む)も,外国人の西安(唐長安)訪問が時期尚早だったこともあり,調査行にさまざまな障害が起こって結局成果が得られなかった事件以後,愚としては,専門外なので,中断したままになっている.おそらくこのまま機会を見て次の世代に委ねることになりそうだが,折角旗を振り始めて居たのだから,今考えて見ると惜しむべきかもしれぬ.

参考資料

はじめまして

いや~、将棋の歴史は思ったよりも深くて難解ですね。情報提供大感謝です。

中国での通説、俗説

中国語版wikiによると、象棋は中国版双六から独自に発展したものであり、チャトランガは、インドに伝播した派生型であるという説と、チャトランガの移入により、北周象棋、唐代の寶應象棋を経て北宋の現代的象棋になったという説が有力らしい。
北周象棋は文献上は、既に詳細不明であり、南北朝時代の北周(557年—581年)に行われていたが、隋(581年—618年)の初代皇帝楊堅の禁ずるところとなり、唐代(618年-)には身分の高いもので知っているものは皆無となったとされているそうである。禁令が出たということは、これは賭博性の高い、双六のようなものであったと思われる。
ついで、寶應象棋が生まれるが、これは唐の寶應年間(762年—763年)に存在を確認できることからついた名であり、一般的に現代中国象棋の祖とされているということである。なお、寶應象棋では書き駒ではなく、チェスのような立体的な駒が使用されていたということである。

「将棋脳」スレ立てました

将棋脳
http://www.tokinclub.com/dp/node/839

>「将棋脳」トピックを立ててください

まーくん様、と金倶楽部へようこそです。登録した会員はスレ立てする権限がありますので(今回は我が処理しましたが)遠慮なくどうぞ。

将棋ソフト書きはじめて問題の深さを思い知らされ、我の知識の浅さを呪う毎日ですが出来る範囲で返答させていただきます。

「将棋脳」トピックを立ててください

歩曼陀羅華さん

お久しぶりです.

えーーっと,ご見解をお聞かせいただきたいことがあるので,是非,タイトルのスレッドを立ててください.
掲示板の主催者さんが将棋ソフトの開発者とのことですので,開発者からのご見解もお聞かせいただけたらと思います.
将棋ソフトに関することで,主に分散処理の効率と評価関数,機械学習の効率等に関してです.

ここに質問内容を書いても良いのであれば,その旨,お知らせください.

その後のチェスの起原研究

花村九段で別欄が立ちましたね.切っ掛けになったと見られる駒音の議論も頭休めに覗いているとときどき面白いことが出て来ます.

どういう経緯か最近「将棋脳」という議論が出かけたのに,薦められた方が結局スレ立てしなかったことがあります.これなどもこちらでやった方が楽しい議論が出来るかもしれませぬ.オーナー様が「人工将棋脳」の開発者で有られるからには.

それで,様子を見てスレ立てしようかと思っていたら,今度は将棋史が出てまいりました.日本将棋の起原については(「空海説」以外に)愚が出る幕は有りませぬが,相変わらずチャトランガ(それも四人制?)が将棋の起源だと書いている有り様を見ると,ほかの議論の論拠も全く信用する気が消え失せます.羽生さんの講演も冒頭でこれを聞いた途端にずっこける.

「将棋脳」トピックはオーナー様が立てられることに期待して,愚は,今見たら45週ぶりになりまするが,チェス史をポツリポツリ再開することに致しまする.

IGKがその後どうなったかをネットで調べましたが,なかなか新しい論文に辿りつけず,やっと発表年次不明だが引用資料から2006年8月頃に執筆されたことが窺える次の論文を見つけました.あまり言いたくないけれども,ネット論文とはいえ日付が無いことが,この種の学界の実態を表していると考えます.

http://www.goddesschess.com/chessays/johnayer.html

この論文の要点は,2つの図になっているチェスの「従来の系統図」と,新しいそれとの対比で,一目で理解することができますから,それだけでもご覧になって下さい.

さて「従来の系統図」では言うまでもなく,

チャトランガ → 東南アジア変種
       → シャトランジュ・中世チェス → 中国将棋 → 日本将棋
                                    → 韓国将棋 
                          → 近代欧州チェス
                          → その他(略)

「新しい系統図」では, 
原チェス → シャトランジュ-アル 
      -カミル Ver.1 → 初期中国将棋 → 中国将棋 → 韓国将棋
                 → チャトランガ
                  ・シャトランジュ
                  ・中世チェス   → ビルマ将棋
                            → ラウフェル戯
                                       → 近代欧州チェス                         
                            → その他(略)

ここでは→が上手く描けませんが,近代欧州チェスはチャトランガ・シャトランジュ・中世チェスの直接の子孫でもあるが,ラウフェル戯なるものの要素が混じる.

さて問題の日本将棋は?

ビルマ将棋と初期中国将棋の混血とされる!

初期中国将棋というものの正体は未だ読んで居りませぬが,ともかく日本で広く流布されて来た説とは,正確には一致しない.

しかし愚にとってもっと大事なことは,前々から強調して来たことと合致しているが,チャトランガ(8世紀インド)如きは系統図の3代目に過ぎぬことで御座います!!!

シャトランジュ-アル-カミルも,未だ読んで居りませぬが,ペルシャ~中東世界の響きがあるので,以前ご紹介したクシャン説との関係が興味深い.

本業とブリッジ他で超多忙なので,続けて御紹介は出来ないかもしれませぬが,皆さまのお付き合いを期待いたしまする.

中国古典に見る象棋

駒音で楚辭の「篦蔽象棋有六簙些」,說苑の「而諂諛 燕則鬥象棋而舞鄭女」を取り上げたことがありました.この掲示板で,そろそろそこらの再発掘に掛ろうとしたあたりでコンピューターが壊れたのでした.残念ながらもう正確な読み方も忘れました.

今回桂馬の動きの起源をネットで探していたところ,それについては天文儀説以上のものには未だ出会いませんが,偶然つぎの論文に上記の辞(詩)句が引用されて居りましたので,取りあえず論文のリンクを貼って置きます.

冒頭,1997年にIGKシンプジウムで話したことを論文にしたと有ります.(著者もネット掲載の時期も現段階では不明ですが,97年の講演プログラムはIGKサイトに有ったはず.)

http://www.banaschak.net/schach/origins.htm

クシャン説で最重視されたリューボ(六簙)についてもかなり詳しく書かれているようです.

桂馬の祖先は惑星だった!

イマジン様>桂馬の動きは、不思議な動きですよねぇ。

どんな発想から生まれたのでしょうかね? (駒音掲示板 駒音川柳11 2009/08/02(Sun) No.6429)

クシャン説(当然その前身の一つも)ではバビロニアの天文儀から来ている.つまり天空上の惑星の動きを駒のような物の移動で表す場合,速度の遅速で1マスか2マスか進むものがあり,

下図の中心の■から見て全ての方向を網羅するならば(上下左右1①とフツーの斜め③は当然必要だし,初期のチェス駒としても実在した.),桂馬跳び②が必要になるし,惑星の動きは全て4方か8方か対称性を持つ(等方的)べきことも当然.

□ □ ① ② ③
□ □ □ □ □
□ □ ■ □ □
□ □ □ □ □
□ □ □ □ □

ナイトの動きの起源についてはいろいろな説~説話を見た記憶が有りますが,最近どうなっているかちょっとネト繰って見ませう.

こういった多動駒(愚の分類名)を歩(前進駒[同左])に近いものに矯正限定した日本人というものは,「駒の再利用」と別の意味で恐るべき民族なのかも知れませぬ.羽生氏の本の中に,動きが少ないのを「駒の再利用」で補ったのではないかという一文が無かったでせうかね?となると「動きの制限」こそ日本将棋の原点?!

本格的に将棋史論を再開できる目途は立ちませぬが,しばらく気分転換に気楽に議論をして参りませんか.

パリ戦

やはり美麗なる鎧武者の駒が欲しい。

関心がずっと違うかも、、、?

祝意感謝

(まだパソコン環境が再構築できないことと,さらに将棋関係のファイルの復元がどうやら無理の模様なので,本筋はもうしばらく休ませてください.)

チェス・プログラムが弱いという説が駒音掲示板でもありましたが,70年代初頭でも相当に強かった.ただし当時はパソコンどころかミニコンでもなく普通のコンピュータではありました.その後は,…,結局コンピュータと本気で指す気力など無くなりました.

駒の動きが大きいので,読みにくいという説もあるが,退屈な機械的な読みに精神的に慣れている「碁打ち」系の研究者は,読めると豪語したりしますね.将棋練達者のセンスは侮りがたいと思うので,もう少し様子を伺えたら面白そうです

後,ちょっと別の見方をすると,このごろのチェス・ソフトは,わざと弱くしたり,確率的にわざと最強でない手を混ぜてくるものもあるようです.エール・フランセの中のチェス・ソフトなどは昔のほうが強かったような.すくなくとも今のはお子様レベル.

日本の一流棋士が本気で転向したらどうなるか?片手間で指している限りは,最近の羽生でもフランス辺りの無名の指し手に簡単に負けてますが.

なお駒音にも1,2度書いたことですが,仮に日本将棋がゲームとして世界を席巻する時代が来たとして,羽生が(今の力のままで闘うものとして)世界チャンピオンになれるか?じつは絶対無理とは言わぬが難しいと見ておりまする.すくなくともトップ地位の中長期的持続は不可能ではないだろうか?理由を端的に言えば,技術や知識のほかに,体力を含めた闘争そのものの基礎能力(さらに国際的な政治的交渉力まで問われる!)が日本人には乏しいから.風小僧さんなんかどう思われるかなぁ.

祝100レス!

シャンチーのルールがのみ込めず実戦?とサイトを探していたらチェスゲームを発見。
最弱アマ8級程度で勝つもののどうも手が見えん。

将棋とは全くゲームが違うものか?
森内、佐藤も?に転向を勧めるご意見もあったが世界では完全に引退、転向しないと無理かも?
彼らは強いそうじゃが相撲で言うと小結、、、?
世界の人数で言うと十両やっとかも?

象棋でしたか

パッと見,まさか中国将棋だとは思いもよらず,チェスだと思い込んでいました.改めて見ると九升.それなら大珍品なわけです.

紀元前3世紀には実態はともかく「象」戯というゲームが行われていたので,象は象牙の箸(長いサイコロ)と駒から来たのか,形象の意なのか,象論争がはじまるとこれだけでも難しそうです.

先月トリノの商店街での昼休み時間に,店の前で中国人店主が孫らしき坊やを相手に中国将棋を指して居たのに出会いました.いい情景でした.結構まじめに考えていたようにも見えたし,ゆったりとした雰囲気に浸っているようでもあった.

駒は結構大きかった.麻雀の下駄パイのようなもの.あれなら吹いても飛びませぬ.

バトル・チェスすっかり笑ってしまいました.最初駒の見分け方がよく分からず,ついて行けませんでした.かなり新しい序盤ですね.これを今の画像技術を使って再現したら,楽しいでしょうね.「黒革の手帳」版だと米倉涼子VS釈由美子.(駒音版だと…)

駒の写真

当方が投稿したバンベルグの駒に関し、何人かの方が感想を述べられている。本写真を投稿してよかった。もっといろいろな角度から何枚か写真を撮るべきだと思う。

この写真の撮影日時は、2008年4月18日である。当時本サイトでお宝写真を募集していた。そのお宝写真にはどうか、と思い一枚だけ撮影した。

本スレを教授が建ち上げられたのは、本年6月であった。それまで小生は、世界の将棋史にまったく無頓着であった。要するになにも知らなかった。

さらに日本語の説明だけでなく、英語やドイツ語の説明書をみて、「将棋」に該当する語として、どのような単語が使用されているか調べてくればよかった。

追記
もしドイツに行く機会があれば(今のところ予定はないが)、バンベルグにいって、、「将棋」に該当する語として、英語やドイツ語では、どのような単語が使用されているか調べてきたいと思う。

バンベルグは、ミュンヘンからIC(Inter City)で2時間ぐらいでいける。

ムム!なるほど!

シャンチーも9人か?馬、車はそのまま。銀が糸車のよう、と言ったが象とすればその上に座席か輿をつけたようにも見える。士はたしか真ん中のマスから出られぬ卑屈な従者と言う感じも出ている。

卒、兵が予備に4体あるのは多すぎる、やはり将棋?かと思ったが案外将棋の駒として作ったのではなくシャンチーの駒を兵、卒を9体にして将棋として売り出そうとしかのかも知れん、、、?

飛車発見

「砲」の形をした飛車(であろう)駒を発見。角は他の駒に遮られて確認不可。

(追記)ん???ちょと待てよ。「砲」といったらシャンチーじゃないか(駒の並べ方もそれらしいし)。ひょとしてこれはシャンチーの駒で、横に並べてある「兵」は別のセットからの余りもの?

白磁、青磁

よく見るとなかなかに興味深い。
銀は糸車のような、香ははと車のような桂はチェスのナイトそのまま。
下はチェス板がそのまま使われている。
飛車、角がないが飛車&竜王、角行&竜馬からどのような動物か想像できなかったのかも知れん。
金は宦官のような坊主頭が横を向いて頭金で詰ます重要な駒とは思えない。

時代は戦後と思われるが関係悪化以前の明治大正期も考えられる。
歩は清代の歩兵のよう、とんがり帽子が面白い。

多分駒の動きもルールも分からぬ中国人が作ったものであって、しかし文字駒を理解せぬドイツ人がこれが本物の将棋と思い展示した可能性はある。

中国からの駒

拡大写真をみると、白色の駒と青色に着色された駒とは対称になっていますね。今まで気がつきませんでした。

日本語の説明ではその駒は、「将棋」となっていましたが、英語の説明では、「Chess」となっていたような気がする。ドイツには[Shogi]という言葉がないようの思われるからである。

訳された方が「Chess」を「将棋」と訳したのだろう。英語の説明を見てくればよかった。

バトルチェス(Battle Chess)

一昔前にこんなチェスのプログラムがありましたのう。戦闘シーンは3:00辺りから開始します。


立体駒

白磁と青は青磁のようにも見えるが?両方の技術とすると値もはるかも知れん。

駒は美術品としての価値もあり欧州には本当に美しいのもある。
ローマ兵士風、中世の騎士など欲しくなったらきりがないような?
ワシは将棋の駒は一つだけ、道場の賞品で貰ったものでプラではいいものだが本格的駒を持つ気もない。

なるほどpcなら色も変えられるようじゃ。
自由な発想があっても良い。
立体駒でも子供用に熊さんとライオンも良いし、家康対秀吉、清盛対頼朝が考えられるが?
紀香と米倉涼子で負けると水着になるなんていうのもいいのう!
天童だけに駒の生産を任せるのではなく地方産業の発掘になるかも知れん。

陶器の写真

下の写真は、同じバンベルグの市立博物館で撮った陶器の写真です。日本語の説明は
見てきませんでした。この陶器から判断して、将棋駒も陶器だと思います。

(webMaster注)クリックで拡大

白磁でしょうが時代は?

この写真は一眼レフで広角で撮ったのですか?今だとデジカメかな.見事に撮影されていますね.

チェス駒が中国で作られるようになったのは,輸出と居留民のためでしょうから,早くて植民地時代の先駆けの時期ではないでしょうか?

3人チェスもなんとも面白そうですね.以前ダイナマイト様が4人制チャトランガ(チャトラジ)をめぐって指摘されたような意味で,楽しみ方の幅が大いに広がることでしょうね.これにサイコロによる偶然性を取り入れたら,ますますそうなるわけですね.

将棋駒の立体化については駒音掲示板でも大分議論しましたね.後で少し発掘を試みます.私も含めて当時出なかったアイディアとしては,コンピュータでやれば色を変えることを含めて自由自在だということがあります.最近のコンピューター・チェスの画面は素晴らしいですから.

ついでにエロティック・チェスなんてのもあるが,アダルトという意味でなく,紀香と米倉涼子を女王にして大画面で指してみたい.将棋の場合,空港で土産用に売っている顔絵の将棋駒の源平版で,静御前と常盤御前は何になっていたのだったかしらん.

白磁かな?

宋代で盛んになった白磁のように見える、、、

欧州では立体駒が普通で東洋の文字駒は合わん、それに文字は各国で翻訳すると言葉が違うので混乱の原因にも、、、

本当に普及させる気があるのなら立体駒の開発が必要か?
王様もどう見ても中国風、、、金は戦うと言うより侍従か宦官のような?
成りは台に何か印をつけることで解決可能か?

バンベルグ

バンベルグは、日本の京都や奈良と同じで、第二次世界大戦で被災しなかった。

バンベルグは、レグニッツ川を境に旧市街と新市街とからなっている。

新市街は、ドイツの他の都市と変わらない。旧市街は、2~3百年経った家並みが残っていた。

将棋駒が陳列されている博物館は、レグニッツ川の真ん中に建っていた。両側から橋が架かっている。

バンベルグには、ドイツ各地から団体の観光客が多く来ていた。その団体の観光客は、市の職員と思われるガイドの案内で歩いて旧市街を観光されていた。そのガイドの1人(女性)に当方は頭を下げられた。

日本のある旅行会社が企画した日本人団体観光客と出合った。その日本人団体観光客は、いずれかの都市からバスで来て、バンベルグで食事し、旧市街の古い町並みが見える高台で日本人ガイドから説明を聞いていた。いずれの建物の中にも入らず、次の都市に向かうようだった。

観光用インフォメーションセンターがあり、そこで「バンベルグ」という日本語の説明書(6ユーロ)がおいてあった。

朝、バンベルグ駅へタクシーで出発した。banberg stationと英語で言ったつもりが、当方の発音が極めて下手で、連れて行かれた先は、観光用インフォメーションセンターであった。

陶器かな?

なかなか見ることの出来ない珍しい画像の投稿、感謝感謝です。

光沢、黒側が青色に彩色されている所から見て、陶器かもしれません。

中国からヨーロッパに輸出された陶器(主に食器)にこの色系の青で彩色が施されていました。

中国から輸入された将棋

下の写真は、ドイツのバンベルグの市立博物館に陳列されていました。ガラス越し
なのでうまくは取れていません。

博物館には、日本語の説明があり、その写真は、将棋(中国将棋ではない)となって
おり、中国から輸入されたとありました。輸入の時期の記載がありませんでした。材
質は、大理石のような感じがしました。

(webMaster注)画像クリックで拡大です。

三人用チェス

愉快だったので歴史とは関係が無いですが投稿しまっす。

あれっま

>投稿環境に故障が生じてしまいました

いち早い復旧をお待ちいたします。

お断り

そろそろ先を書こうと思っていたところ、投稿環境に故障が生じてしまいましたので、このまましばらくお休みします。

前回御紹介した甲骨文字のリンク先は、書家のサイトなので、それだけに分かりやすいけれど、無論もう少し学術的な印象のものもあります。それは壊れたパソコンのほうに入っていて復元不可能ですが、またネットで見つかれば、掲載します。

甲骨文字の実像

銀碩学様ほか,問題の御指摘等有難うございます.これからも活発な御議論や御教示を楽しみにしております.とりあえず一,二.

●甲骨文字は占いをした亀甲そのものに文章を彫り込んだのが原点(あるいは原典というべきか)とのことです.本コメント末尾のリンク先に,初期の典型例と,解説が有ります.

●いわゆる易姓革命思想があるので,中国の王朝は必ず先朝の史書を編纂し,王権交代を正当化した.今回の本はヨタ話かもしれないが(♪),問題意識としては,その見方を殷と周との関係についても適用し,ある程度実証できたとするつもりかもしれませぬ.

●広い意味で,白川氏らの同業者として,新しい研究には共感を持ちます.(チェス史も同様) 今回の場合には,宮崎氏との比較ではつぎの諸点が上げられましょう.

1.考古学者と歴史学者の違いに似たものが有りうる.
2.白川氏のほうが数年若い.通常は後の世代の方が視点が新しく,学力も高い.(ピタゴラスやユークリッドやアルキメデスより,私の数学や物理学の知識が「優れて」いることに通じる! 教授より助教授のほうが学力が高くないようでは困る.新制度の准教授はそうとは限らぬかもしれませぬがなあ?)
3.宮崎氏は京大で君臨,白川氏は立命館に拠った.影響力や権威の差は割り引くべき.

ただし,今回の本と白川氏との関係は,未だ確認しておりませぬし,そもそも殆ど知らなかったテーマなので,皆様と議論しながら知識を深めたい段階です.

http://images.google.co.jp/imgres?imgurl=http://www.yohseikai.com/W-285....

♪ 重村さん(静岡大?→早稲田)の「金正日は死んでいる」本の評判は,その後どうなったでしょうか.

夏桀殷紂

一度HNにしようと思ったこともあるが、、、誰が読んでくれるのか疑問で中止。極めて温厚ながら酒と女性と裸は好き、というより一人の時、ビーチでは服を着るのが面倒くさい。

なんとなくwikiを見たが殷紂は普通の人、という説も?
家康が豊臣政権を乗っ取った、という庶民の感情があれば仮に数百年たって記憶がなくなった頃に秀頼と秀次と混同し、家来を何人も殺したとか女性をどうしたかと説を作り乗っ取ったのではなく、悪逆非道の人間を正義を守るために止む得ず立ち上がり滅ぼした、正義のヒーローという役割が良い、という事はありうる。

ウィキは読者が書き加えて作るもの?参考にするには良いものか?伝統的歴史史観からするとやや違和感があるが、、、?

東照大権現

政権をとればその創始者を神格化するのは普通であり、そして前政権の神格化を否定するのは当然。神様が二人居ては困る、、、

酒池肉林というのは政治を何もしないで酒色にふけったという意味でその政治そのものを否定する。家康は統一後現実に秀吉の家臣となったのであり五大老筆頭、後の大老のようなものでそれを否定すれば家康自身を否定することとなるよ。

前政権への復讐

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E8%87%A3%E7%A7%80%E5%90%89

『死後、京都東山の阿弥陀ヶ峰(現在の豊国廟)に葬られ、豊国大明神として豊国神社(京都)に祀られたが、豊臣家滅亡後、徳川家康により大明神の号は剥奪された。この時、建物も破却されることになりかけたが、秀吉の正室であった高台院の嘆願により、外苑部分は破却されるが内苑(本殿など)は残されていた。この際に建造物の一部は片桐且元らによって宝厳寺や都久夫須麻神社等に移築されたともされる。その後三代将軍家光の時代幕府により社領も没収、社殿などは次々と破却、あるいは解体処分とされてしまい、豊国神社の敷地は荒れるがままであったと言う。』

天下を手中に収めた徳川家にすれば前政権の秀吉を「神」として祭るのはもっての外。その存在を否定するが如くにやりたい放題… そして家康本人は(秀吉の真似?)死後「東照大権現」の神号を贈られる。

疑問百出、、、?

>周王朝正当化
まず一度政権をとれば前王朝を非難し貶める必要など一切ない。家康が足利政権が悪かった、とか豊臣が悪逆非道などという必要もない。

>酒池肉林
これは後世の言葉で殷の時代にそのようなことは言われない。単に女好きで酒を飲んだというだけのことでこれは誰にでもある。ただ悪政で評判が悪かったからこう言われただけの事。

大奥と比べてもせいぜい数百人で可愛い物だったかも?
晋の武帝は後宮一万人といわれた。毎日一人でも30年!!!これは商売人の玄関先の置き塩?の発生として有名。

>甲骨文字記録
なんてものがあるのは知らなかった、、、が?、、、
歴史資料として認められているものなのか?
第一、亀の甲羅や骨にまとまったことを書けるものか?
骨なんてすぐ折れるもので形が今まで残ってるはずもないこと。
周になって竹簡が工夫され始めて保存に適したものが出来たはず?

>白川静
というのは知らなかったが漢字学者、漢文学者とすると歴史についての考察が足らないのではないか?
甲骨文字なんていうのは象形文字の発明として意味があるのであって後世の漢字のように歴史とか人間とか抽象的なものを記録するほどには発達してないはずだが、、、?
歴史を研究していない学者がムリヤリ専門外のことを認めさせたような気配はする、、、?教授も、、、?

>研究者以外でも
なにやら怪しい名前が一人入って居るがやはりwikiは信用できん、、、?聞いた事もない。
シルクロードで図書館に行ってみたがBritanikaはなかった。平凡社なら信用できると思うが?

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