持点物語14:大山康晴

 加藤の項が大山の話題になってしまっているがその大山。
 各年度末(翌年3月31日)の値
 左から,年度,年齢,クラス,持点順位 平均との差,名人A級との差
1988 66 A:08 22 +162 -049
1989 67 A:04 17 +163 -056
1990 68 A:05 29 +119 -057
1991 69 A:07 20 +152 -017
1992 70 A:04 31 +104 -064
 わずかこれしかデータがない。同年齢比較を中原とできると良いのだが,中原は54歳で順位戦からリタイアしてしまった。そこで加藤との比較だが,大山から見てこうなる。
 66 +261
 67 +248
 68 +299
平均 +269
 たった3データなのでなにを言うのも無理だろうが,やたらと強かったようだ。

投稿者: みなかみ 投稿日時: 月, 04/21/2008 - 14:47 categories [ ]

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マチガイ

>リクエストは第5期王将戦(1955年)第4局の香落ち番

コレを掲載するつもりが、何処かで間違えました。スミマセン...第4局も掲載しましたのでお許しを...

ありがとうございます・・・

申し訳ありません。書き方が悪かったのかな?リクエストは第5期王将戦(1955年)第4局の香落ち番です。この年は升田3連勝でタイトル奪取。後は平・香番を指す事になってましたが香落ちを勝った後は指さされなかったと思います。升田はこの数年前にも時の名人・木村を差し込んでいます。この時は香落ち番が陣屋旅館で予定されていたのですが、升田の対局拒否事件があり実際には指されなかった。いわゆる「陣屋事件」ですが升田は実に2名人を指し込み、実際大山名人に対して香落ち番で快勝した。

いにしえ掲示板に掲載

リクエストありがとうございます。無知な某をお導き下さり、感謝感謝です。

棋譜は「いにしえ掲示板」に掲載させていただきます。

お言葉に甘えまして・・・

紫外線様、またリクエストさせて頂きます。昭和30年の王将戦です。升田が3連勝で大山名人を香落ちに指し込みタイトルを奪取。しかも香落ち番も勝った、その将棋です。1筋での折衝で升田が読み勝ち優位に立つと、後は大山の攻めを受け潰してしまった。現名人が香落ちで負けるよいう空前にして絶後の将棋。この将棋で升田は一升飯が食えたし、大山は屈辱を果たさんが為に手段を選ばず勝ちまくった。その源流の将棋だと思います。お休み中申し訳ありません。

お役に立てて、光栄です

お役に立てて、光栄です。またリクエストが有れば、最善を尽くして検索します。

ちなみに、最初様の様に的を絞ってリクエストしていただくと探すのがラクチンです。

連投で失礼

しかし久しぶりに並べて見て、やはり112手目81玉は凄い!だいぶ前からこの手を想定して先手を誘っていたそうです。これで受かっているなんて誰も思わなかったそうです(中原も)。見切るとはこの事かと、ぞくっとする一局でした。

絶句!

なななななんと!思い付きで書いてしまったのに、この素早い対応に驚き感謝するばかりです。紫外線様はいつおやすみになるのでしょうか?またリクエストさせていただこうかと(笑)コメントの件、了解しました。どうしても必要な時は別にブラウザを起動させます。

第31期 名人戦七番勝負 第2局 棋譜

>ところで他の方のコメントを見ながら書き込む事ができれば
>もっと良いと思いますが・・・

サイトソフトの限界どす。どうかご勘弁を...

>これ再現してもらえたらいいですね(笑)

お詫び、と言う訳ではないですが、第31期名人戦七番勝負第2局棋譜掲載です。

見切る

升田は大山の将棋を「真剣でぱっと切りつけられても瞬き一つしない。」と言ってます。相手との距離を見切っていると。この言葉が一番当てはまると思うのは第31期名人戦第2局だと思います。有名な後手8一玉。誰もが絶対ありえないと思っていた手でした。しかし、大山はずっと以前からこの手を想定していた。そして相手(中原)が攻め疲れたところをずばっと切る。そんな将棋でした。これ再現してもらえたらいいですね(笑)升田は「升田の受けつぶし」と言われるように最初からとことん攻めて打撃を与え、後は相手の攻めを全部面倒見るといった指し方を得意とした。ただし大山は後にそれも見切っていた。
ところで他の方のコメントを見ながら書き込む事ができればもっと良いと思いますが・・・

升田と大山

初め大山は攻め将棋で升田が受け将棋だった。

升田が強く大山の攻めが通用しないことから大山は受け将棋に成り、升田は後輩の大山の攻めを受け切れない事から攻め将棋になったと言われている。

どちらが良いかと言うと受けのほうが勝つ可能性は高い。

現在の将棋と同じ。攻めは苦労が多い。固めるのが現代風。。。

升田と大山

愚に駒落ちで相手をさせた助教授から、もともとは升田が大山を受け潰して居たのだと聞きました。(その頃本人は生まれて居なかったと思いますが。)

受けの将棋

大山と言えば受けの将棋だったがお若い方は実際の印象はないかも知れん。

全盛期に鋭い攻めの二上、加藤、内藤などが必死で研究した攻めをもうダメだと言う地点でも受けの妙手を編み出した。「助からないと思っても助かっている。」と言う言葉が残っている。

これは升田の鋭い攻めをそれ以上に鋭いか、しぶとい受けでしのぎきったからこそ出来た芸当であり苦労しなければ到底無理。

これは攻めて勝つ人には経験できぬこと。つまり強い人は攻めて勝つので受けの境地には達しえない。升田より弱かった大山が必死で追いつき追い越した時点で升田以下の攻めはもう通用しなくなった。

現在は「固めあう将棋」らしい。攻めきることを考えずただひたすらに穴熊にして負けない将棋を指す。漸く大山将棋を理解しだしたのか、とも思う。つまらんと言えばつまらんが、、、

芸術家vs勝負師

新手一生とか華やかさを持つ升田に対し大山は何もない。人気もかなわん、ただ勝ち続けることのみ。

定跡もこれと言うものは作らなかった、31金という地味な受けの手が記憶に残るだけ。

金持ちほどケチになるもの、盤外戦術も一勝もやらん、タイトルも誰にも絶対渡さんと言う生きざまの表れだったのかも?

結論・・・かな?

大山名人は昭和30年の王将戦で現役名人でありながら升田に差し込まれた事が生涯の痛恨事として影を落としていると思う。香落ち戦を指す羽目になりしかも升田の快勝。大山は旅館で泣きに泣いたという。升田にとっては生涯の大勲章。その後どんなに大山に負けても「ワシの全盛時は香落ちで負かしたもんじゃ。」とホラを吹ける。だから大山は誰にも負けない実績を築き上げる事で悪夢を払おうとしたのでは?棋譜なんてどうでもよく勝つことしか頭に無い。手段を選ばず勝って勝ちまくる。これが大山将棋の正体と見た。話はそれるが漫画「美味しんぼ」で山岡が父親・海原雄山の事を確か「残忍な性格だが作り出す作品は一級品。芸術の持つ魔性だ。」とか言っていた事があった。大山を連想してしまった。

超意地っ張り

王位戦でもめる事が多かったとか。三社連合の故能智記者と故芹沢九段が仲が良かった事への反発とか。大山名人は芹沢さんを相当嫌っていた。意地っ張りというよりも意地悪なエピソードばかり。内藤・米長のタイトル戦を「あんなの二軍戦ですよ。」と言った。言われた方は頭にきますよね~。次に顔が合った時は冷静ではいられない。これも計算済み。なんちゅう人かいな(角さん風)

なぜ、あんな盤外戦術を?

大山さん、別に盤外戦術を駆使しなくても十分に強かったと思います。むしろ、なぜあんな、しょうもない盤外戦術に出たのかがよく分かりませんね。それなりに、結構不安だったのか。二上さんも対局中に、大山さんが、記録係に「詰め将棋なんて、何の役にもたちませんよ」と言われて、かなり頭にきたとか。二上さんが詰め将棋大好きということを知った上での発言だったらしい。よく分からない精神構造の人だったようです。

ちょっと~~~

平成3年度(平成4年、1992年)の順位戦(大山が全局消化した最後の順位戦)ではガン治療中の身でありながらも、当時四冠王であった谷川浩司らを倒し6勝3敗。プレーオフに持ち込んだ。プレーオフでは高橋と南と谷川相手に3連勝をする必要があった。プレーオフ緒戦の高橋戦で勝利目前までなるが、手を間違えて敗局した。休場しての療養を勧める声もあったがそれを断って生涯現役を貫き、1992年7月、A級在籍のまま死去した。

ウイクルより引用。

比較にならん。69か70にして四冠王を倒し名人を目指していた???

その気力たるや何処より来るか?????

強い!

中原十六世名人、米長永世棋聖の50歳代でのB級降級、谷川九段、佐藤康二冠のA級での苦戦を見ると、大山十五世名人のA級での強さが目立ちます。とくに同氏の50代は、降級の危機どころか、ごくふつうに、いつも挑戦争いに絡んでいた印象があります。

齢70

齢70にしてこの強さ、掲示板に列挙された「武勇伝」は大山氏に勝てなかった棋士達の詭弁・言い訳...と勘ぐりたくもなる...かな?

「強い者が勝つ」
「勝った者が強い」

両方とも当てはまるようで。

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