持点物語13:加藤一二三

 各年度末(翌年3月31日)の値
 左から,年度,年齢,クラス,持点順位 平均との差
1988 49 A1:03 11 +204
1989 50 B1:01 12 +178
1990 51 B1:07 43 +082
1991 52 B1:05 22 +141
1992 53 B1:09 09 +227
1993 54 A1:10 47 +068
1994 55 A1:07 45 +046
1995 56 A1:06 42 +055
1996 57 A1:07 39 +069
1997 58 A1:07 28 +108
1998 59 A1:08 68 -031
1999 60 A1:07 49 +012
2000 61 A1:06 32 +084
2001 62 A1:08 77 -067
2002 63 B1:02 63 -021
2003 64 B1:10 88 -081
2004 65 B2:02 90 -080
2005 66 B2:16 93 -099
2006 67 B2:18 87 -085
2007 68 B2:06 110 -180
 最近の持点を見ると悲惨の一語につきるが,それでもガンバル人気者加藤。中原との同年齢比較,中原から見てこうなる。
 49 +090
 50 -018
 51 +102
 52 +021
 53 -079
 54 -026
平均 +015
 中原と谷川の比較同様データ数が少ないが,奇しくも同じ差になった。加藤は中原や谷川と同レベルの強さなのだが,強い大山と若い中原に挟まれてしまったのだろうか。

投稿者: みなかみ 投稿日時: 月, 04/14/2008 - 10:55 categories [ ]

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話が尽きません

大御所の話題は尽きませんね。出掛ける前にもう一席。有名なのが対局中のおしゃべり。相手が考えている時に記録係や観戦記者に話しかけるのも相手の思考を乱す戦術。そのくせ対戦相手が廊下の先で話していると「うるさい!」。お昼休みに一般観戦者の為に将棋盤の位置を勝手に変えてしまった。戻ってきた対戦相手は当然ぶ然とする。また二日制のタイトル戦の一日目は3時過ぎに対局をやめて、封じ手までの残り時間は考慮時間を折半するという大山案が長い事まかり通った。なぜ早めにやめるのか?麻雀をするためなんです(笑)麻雀は弱い相手としかしなかった。全て大山が一日目の夜を気持ちよく眠る為の手段でした。空気が読めず鈍感力の強い中原はこれを平然と断った。

不眠作戦かいやがらせ

酒飲みにとって適量の酒を麻雀などで妨害されるのは眠られぬことを意味する。よく昔加藤が庭の滝の音を止めさせた、などという話も睡眠が対局の絶対必要なことで理解できる。

よく昔の物語で戦うよりも兵糧攻めとか水を絶つなんて作戦があるがあれに近い。正々堂々とはいえず原田が嫌うとしたら無理はない。姑息と言うよりは反則技かも?

今は佐藤や羽生が前夜祭でマイクで挨拶している姿をよく見るが昔は主催者のパーティーと言うより宴会でそれに出ない、などという事は許されなかったのではないか?本来なら個室で別々に自由に食事なり酒を飲むのが一番だがそれは多分無理だったと思う。

仮に大山がどんなに勧めても二日酔いになるなんて事もない。対局後ならともかく前日に酒を過ごすことは勝負師としてありえない。

当時の大山は王政か帝政に近く仮に升田と飲みたくても麻雀を断って飲むなんて棋士は居なかったと思う。孤独感を味あわせ思い悩ませ眠れなくさせる最大の作戦だったかも?

正直過ぎる原田先生

大山名人はメンバー予定の対局場(旅館)の若主人が麻雀に少し遅れた時、対戦相手始め関係者全員の前でその若主人をこっぴどく怒鳴り散らした。みんなし~んとなった。「俺を誰だと思っている?」と見せ付けた。また対戦中、扇子を実に器用にくるくる回した。これは相手の視線に入る事を計算した目くらまし。これらも盤外戦術の一つ。
一方、原田先生は対局中有利になると自然と笑みがこぼれてきて勝勢になると堪え切れずに「わっはっは!」と笑った。こんな正直な先生が大山にほとんど勝てなかったのは当然だろう。

原田泰夫先生の大山批判

公然と書かれたことはないと思うが、原田さんは大山さんに対して、常に批判的だったようだ。どうして?と不思議に思っていたが、その後、大山さんの見苦しい盤外戦術を知るにおよんで、なるほどと思うようになった。原田さんは姑息な盤外戦術を嫌っていたと思う。棋士としてあるまじき行為と感じていたのではないか。今となっては、原田さんの毅然とした態度が懐かしい。今のY会長などは自己弁護、自己保身だけで、将棋界の将来など、まるで分かっていない。このままでは、確かに将棋界の将来は危うい。

禁断症状

紫外線様
本当の酒飲み(アル中は除く)は重大対局の後、結果はどうであれ思う存分飲みたいので決戦前夜は少量で我慢するでしょう。自分で決めた酒量なので不満はない。問題は他人(大山)がそれを決めてしまう事です。それはムカつくでしょう。ただ大山が飲ませようとしても二日酔いするまでは飲まないはず。ならば酒を断ち、禁断状態に追い込む方が効果抜群と、大名人は計算されたのでしょう。

自己中心

>自分を取巻く環境を全て自己中心へと導く。

ココが一番重要であり、「飲む、飲まぬ」は結果であって、手段では無いのでは?大山氏としては対戦相手がのん兵衛ならば、それこそ浴びせるほどに飲ませ、次の日は二日酔いの嵐に引き込んだ方が戦術としては上等なのでは?

これも盤外戦術

全盛時の大山は、例えば王座戦の予選でも対局場は陣屋旅館(対米長戦)等とにかく別格待遇だったそうです。自分を取巻く環境を全て自己中心へと導く。誰も逆らえない。宴会に酒は付き物ですがそれも許さない雰囲気にしてしまう。これは飲みたい人間にとっては正しく虐待と言っても過言ではない。小生も年に飲まない日はまずない程酒好きですが、たまに飲まない人の奢りで会席などご馳走になると苦痛です。だって金主を差し置いて自分だけ飲む訳にはいかない。ラーメンの方がまだましです。これも大山の重要な盤外作戦の一つだと思います。加藤は飲まないから通じないけど別の戦術を実行したはず。
追伸・内藤が一回だけ王位戦で大山からタイトルを奪った事がありますが、その1局で大山は苦しい将棋をひっくり返して勝ち、宴会でコップ酒を飲んでひっくり返ったそうです。それを見て内藤は「勝った!」と思ったそうです。

大山の全盛時

大山は殆んど飲まないかさっと食べて麻雀し囲碁が見たくなると取り巻きに碁を指させたと言う。

旅館の自室と言うのは宴会が終わる頃にはもう布団が敷いてあるはずで騒ぐのは宴会場のみ。チーポン、満貫と言ってる傍での食事は、酒飲みにとって食うな、飲むな、と言われているのに等しい。

これは酒飲みに対しての虐待か?酒を飲むな、と言うのが日本の常識か?ご意見求む。

やはり加藤戦では?

不知火様
この件は河口俊彦氏の著者でも紹介してあったと記憶します。棋譜も見ました。時間があったら再度調べてみます。とにかく「真綿で首」的な寄せ方で短気者の五味氏には耐えられなかったのでしょう。でも同氏は大山将棋をほとんど理解していなかったのでは?と今は推察します。風貌も升田似だったし。二上氏も加藤氏も最初は快勝するんですね。その後徹底的に「負け下」に追いやられた。

あれは

最初で最後で最初さん

大山さんと二上さんの将棋ではなかったか?

それとも 加藤さんにも同じような経験があったのか?

加藤、最初の名人戦

五味康祐氏の文章だったと思うけど、加藤が名人戦で初めて大山に挑戦した時、大山はある局でわざと止めを刺さずに飛車を自陣に引き付けて成り、加藤は延々と負け将棋を指し続ける羽目になったそうだ。五味氏から見ればまるでなぶり殺しにみえた。そうやって才能の芽を摘み取ったと。しかし、今考えれば五味氏の棋力は不明だがそれが大山流だったのかも知れない。米長も最初の対局は数日経って相手の強さが身にしみる負かされ方をしたそうだ。加藤は情緒的な発言は一切しないのでその心境はわからない。多分、何にも感じていないかも。信ずるは神のみ。

あなおそろしや、、、

内藤がタイトル保持者だったときに前夜の夕餐にちょっと遅れても当然主役だから待っててくれるか、少なくとも拍手で迎えられると思っていたところ挑戦者の大山とその取り巻きはとっくに夕食を終え麻雀を始めて内藤は一人夕食も取らず自室で悔し涙にくれたと言う話があった。

大山の番外戦術は相当でそんなことをされて内藤など勝てるわけはない。
加藤も書いてはいないが同じような事があっても不思議ではない。やはりでつぶされたのかも?ただ中原はその番外戦術が通用しなかったらしい。
戦後生まれで世代も違ったか?

そういえば升田も酒飲みで夕食は2-3時間かかるはずじゃが、みんな席を立つので飲むにも飲めん、と言う事があったかも?

加藤さん

プロ棋士やアマの各位のコメントを総合すると、加藤さんは、良くも悪くも、一人で行動される。仲良しクラブを作られません。ご自分の信じた道をまっすぐに行かれる、そんな感じです。
あのキャラ、将棋界にとってかけがえのない人だと思います。

神童(怪童)の悲劇

愚には、今なお加藤大先生が(元)天才として周囲に痛々しいほど気を遣って居られることがありありと見て取れる。それでも全く伝わらないから、周囲の反発、敵意、苛めの丁度良い標的にされる。こういうときは「伝わらないふりをする」のも苛めの手口だ。

若い時代を想像すれば、大山さんからみれば一番付け込み易い相手だったろう。神童は盤上でも盤外でもいいように揺さぶられ痛めつけられたに違いない。

中原さんは、見かけ上柔和で棘が現われないし、天才的な個性も見えない。互助会的な競技組織の中では、特に大山、加藤の後から出てくれば、タイプだけで得をしている。

無論中原さんの才能と実力を侮るべきではないだろうが、愚の観察した要素は、日本の横並び、嫉妬社会には共通してあるものなので、棋界について的外れかどうか、諸賢の御教示を得られれば嬉しい。

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