立花隆が1996年秋~98年春まで、東京大学教養学部で開講していた「調べて書く」というゼミの作品をまとめたものに「二十歳のころ」がある。
学生たちが、何かテーマを決めて、それについて調べて書き、うまくいったら、それをまとめて一冊の本にする、というプロジェクトだ。面白い試みだと思う。
学生たちが、それぞれ選んだ対象者に交渉し、インタビューを試みている。インタビューをするためには、聞き手は当然、対象者について色々と調べねばならず、ここでどれだけ事前に調べて、それを整理してインタビューに臨むかが、作品の出来不出来を決定づけるといってよい。
立花隆はこの「調べて書く」ということについて、冒頭、こう述べている。
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さて、なぜ「調べて書く」なのかといえば、多くの学生にとって、調べることと書くことが、これからの一生の生活の中で、最も重要とされる知的能力だからである。調べること書くことは、もっぱら私のようなジャーナリストにだけ必要とされる能力ではなく、現代社会においては、ほとんどあらゆる知的職業において、一生の間必要とされる能力である。ジャーナリストであろうと、官僚であろうと、ビジネスマンであろうと、研究職、教育職などの知的労働者であろうと、大学を出てからつくたいていの職業生活のかなりの部分が、調べることと書くことに費やされるはずである。近代社会は、あらゆる側面において、基本的に文書化されることで組織されているから必然的にそうなる。
人を動かし、組織を動かし、社会を動かそうと思うなら、いい文章が書けなければならない。いい文章とは、名文ということではない。うまい文章でなくてもよいが、達意の文章でなければならない。文章を書くということは、何かを伝えたいということである。自分が伝えたいことが、その文章を読む人に伝わらなければ何にもならない。
(「二十歳のころ」立花隆+東京大学教養学部立花隆ゼミ/1998年10月新潮社刊より引用)
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私も全く同感である。十数年前、ネットの管理を手伝いながら、私もまた「書き手」として「その場」に参加していたが、不特定多数の視線に文章を晒すというのは、案外に勇気がいるものである。仲間内なら遠慮もあるし、辛辣な批評は控えられても、公の場では、そんな遠慮会釈は存在しないから、いいかげんなことを書けば、忽ちにして批判
、糾弾される。そのときに「どう対応するか」でネットでの評価は決まることを私は何度も痛感させられた。米長邦雄永世棋聖の言葉を借りれば「大切なのは負けたあと」ということになる。ただ、議論というのは「勝ち負け」でもない。それはまた別の話だ。
このときの学生のインタビューに米長邦雄九段は登場している。
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二十歳というのは、母親の影響力がなくなる歳なんです。人間二十歳までは九十五%母親の善し悪しで決まります。
僕の場合は十二歳で弟子入りしましたから、もうその時からすでに親離れしているわけです。親父は十六歳で亡くしてます。親子は離れた存在、独立した存在なんです。親の影響力はありません。それでも、母親が人間の九十五%を決めます。
うちは貧乏でね。没落藩士ってやつで、言ってみれば社長が無一文になるようなものです。無一文になって、一家心中しようかということも経験しています。そんな中で、力強く生きる、ということは親から学びました。努力すれば何とかなるということで、生きた教訓になりました。
(「二十歳のころ」立花隆+東京大学教養学部立花隆ゼミ/1998年10月新潮社刊より引用)
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成人になれば、保護者から独立するという趣旨はわからなくもないが、母親の影響力がなくなる歳、というのは私には理解できない。私の母親は郷里で今でも元気に過ごしているし、老いてもちっとも子に従わないが、私に有形無形の影響力を今尚、残しているし、教育とはそのようなものでもある。
私は「と金倶楽部」でも書いたが、米長棋聖のご母堂は素晴らしい方だったと思っている。その教育の姿勢は傾聴に値する内容だった。その教育が米長九段に届いていないとも思わない。つまりこういうことだ。単に、米長九段は本能に走ったのである。重しがとれたら、奔放になった。単純な話だ。
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二十歳のころの習慣としては、とにかく、棋士として強くなろうと努力すること。どんなことをしていても、心の居場所は必ず将棋でした。それと「悲願千人斬り」という目標を立てましてね。千人の女性とする、と。当時は歌声喫茶なんかに行きました。今でいうところの、カラオケですな。何でこういうところ行くかっていうと、女性が好むからね。そういうところへグループで行って、歌を歌って、そして清らかな一時を過ごした後、まぁ二人でちょっと飲みに行かないか。とこういうことになる。毎日こういうことをやるわけだ。千人というのは、もうとにかく大変な数なんです。三百八十人くらいまでノートに付けていたんだけれど、結局五百人くらいまでいったのかな。二十歳の頃を振り返って、なんで千人斬りをもっと早く始めなかったかな、という反省がありますね。
こういうことをして、正直言って、ばかなことをしたなぁ、という気持ちになることのほうが多かった。終わったら、あほらしくなるんだよね、あれは。どうしてこんなことをしたのかって。
それでもそのときに、これは非常に大事なことなんだけどね。ビールでも飲もうか、と言って別れる。これが大事なんだ。なかなかそういかない。一人の人が終わったら、できたら豚カツでも食べながらビールを飲む。じゃあ、ここでさようなら、そういうつきあいをしたい。終わったらはいさようなら、そういうつきあいではない。
(「二十歳のころ」立花隆+東京大学教養学部立花隆ゼミ/1998年10月新潮社刊より引用)
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「人が人を好きになることは、誰にも止められない」そんな一節が山口瞳「居酒屋兆治」の中にある。私は道徳や倫理をこれみよがしに振りかざすつもりはないが、そういう行為は「秘めごと」だと思っているから、こういうことを自慢げに語る人の気持ちというものが全くわからない。このインタビューには、女性の学生さんが一人参加されているが、米長邦雄九段が、おそらくは彼女の表情を愉しむように、つまらぬ自説を語ったような風景が想像されて、実に不愉快な気がする。軽薄なのだ。
米長九段の「不倫に関する記事」は週刊現代、週刊ポストを初め、いくつかのメディアで報じられた。それは今もネットで大半、読めるようだが、そんなものはここに引用するつもりはない。
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私は、邦雄にも将棋や勝負のことだけでなく、もっと広い世間やそこに暮らしている人たちのことをわかり、自分も普通の人としての喜びや悲しみも知って欲しかったのです。その職業の枠の中でだけ生きるような人間にはなって欲しくなかった。
(「おふくろ塾天才教師」米長花子/1988年2月青春出版社刊より引用)
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この言葉が届かないというのはご母堂の責任ではない。成人した米長邦雄九段のみが背負うことである。
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