米長邦雄永世棋聖 =内心の葛藤= (4)

米長邦雄永世棋聖にはご母堂による「教育論」としての著書がある。本人、観戦記者が棋士像に迫ったものはいくつもあるが、母親が「息子」について語る、一冊の本を出したというのは米長永世棋聖以外にはない。

米長花子さんは、四男一女に恵まれた。邦雄氏は「四男の末っ子」にあたる。「兄貴たちはバカだから東大に行った」という名言(?)があるが、芹澤九段の著書によれば「元ネタ」は自分だと記されている。米長永世棋聖の兄のひとりは「バカじゃなければ邦雄の兄などやっていられない」と笑う。おそらく、この「バカだから云々」は、芹澤九段が生みの親だろう。こういう不思議なセンスは、芹澤九段の方が長けているような、そんな気がする。

--------------------------------
(前略)
 邦雄は小学校を卒業するとすぐ、プロの棋士を目指すため、東京の佐瀬勇次七段の内弟子として預けられました。そして、中学の三年間を先生のお宅で過ごし、そのあとは、東京の親戚の家に世話になりました。(中略)
 いまでもそうですが、自慢じゃないがこの私、将棋のことは何ひとつわからないのです。そんな状態でしたから、アマチュア将棋の山梨県支部長だった山口さんという方から、「邦雄君を、中学の三年間、東京の佐瀬先生の内弟子としてお預けしてみないか」と言われた時には、もう本当にびっくり仰天しました。邦雄のどこを見込んだんでしょうか。昭和三十年のことです。
 内弟子期間の三年間の生活費は山口さんが面倒をみてくださり、しかも、万一、棋士になれず、高校進学もできなかった場合は、将来のために山口さんがガラス店を一軒持たせてくださるという、考えられないくらいありがたいお話でした。(後略)
「おふくろ塾天才教師」(米長花子/青春出版社/昭和62年2月刊より引用)
--------------------------------
場合によっては、米長邦雄永世棋聖は「硝子店の店主」となっていた可能性もあったわけだ。

中原誠十六世名人も内弟子を10年間近く経験している。内弟子経験の最後というのは、先崎学八段ぐらいだろうか。「そういう経験の有無は将棋の質が違う」という声が一時期、よく聞かれたが、羽生善治名人をみていると、この説も何とはなく危ういものがある。ただ、米長棋聖と羽生名人の時代というのは「情報入手の環境」がまるっきり異なるし、データーベースの整備も比較にならない。

最近、将棋を指していて「かたちのきおく」というものが極めて重要だと痛感させられた。特に終盤である。「このかたちは何かある」と瞬時に判断するためには、過去の記憶というものは極めて重要だ。

今から何回か、米長氏の「少年時代」をご紹介させていただく。私は、米長永世棋聖が受けたご母堂からの教育は「素晴らしい」ものだったとこの本を読んで思ったが、その一方で、どこかでご本人は「決定的に人を信じることができないように」なってしまったのではないか。とも感じた。そのことは「悲劇」だと思ってもいる。

氏の「屈折の背景」が、この本からは読み取れるのだ。

投稿者: JC IMPACT 投稿日時: 水, 06/30/2010 - 02:52 categories [ ]

返信

このフィールドの内容は非公開にされ、公表されることはありません。
  • ウェブページアドレスとメールアドレスは、自動的にハイパーリンクに変換されます。
  • 使用できるHTMLタグ: <a> <em> <strong> <cite> <code> <ul> <ol> <li> <dl> <dt> <dd> <hr>
  • 行と段落は自動的に折り返されます。

書式オプションに関するさらに詳しい情報...