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第82章「相撲の街」
温対記者も、暇名探偵がこれ程粘るのをみたのは、初めてだった。 それだけ、この殺人事件の動機が不明であることを物語っていた。
暇名小五郎 「もう少しで退散しますので、お願いします」
馬得騒造店長 「かまへんで。ほかにどないなことや?」
店長は、それほど迷惑そうな顔はしなかった。
暇名小五郎 「客層は、主にどんな人が多いのですか?」
馬得騒造店長 「そうやねえ。場所的に近所に住むサラリーマンとか、大学生、消防署や区役所などの役所関係の人なんかがよく来てくれまんねん」
温対記者 「そういえば、このあたりは一般の住宅だけでなく、アパートやマンションもたくさんありますよね」
馬得騒造店長 「ほかに、女性連れで来る男性もおるし、女性同士ちうのも来ますがな」
暇名小五郎 「なるほど。客層は幅広いですねえ」
結構繁盛しているだけのことはあるようだ。
馬得騒造店長 「そうそう、相撲取りもきよりまっせ」
温対記者 「へえ。お相撲さんも来るんですかあ。誰が来てます?」
馬得騒造店長 「ははは。有名な力士は来まへん。ちうより、おらへんちうべきやな」
大相撲も、露鵬や若の鵬の大麻事件、朝青龍の殴打事件などの不祥事で、揺れ動いたばかりだったが、こんどは野球賭博と暴力団がらみの問題で、さらなる激震が起こっている。 昔から、八百長問題などが論議されており、週刊誌などから告発されたにもかかわらず、ほっかぶりし続けてきた勘定書きが3倍返しで回って来たようなものであった。
このことは、一相撲協会に限らず、見てみぬ振りを決め込んでいたNHKや横綱審議委員会などにも言えることである。 そろそろ角界も、自浄努力をしなければ、公益法人の認定も危うくなりそうな雲行きではなかろうか。
温対記者 「どこの部屋ですか?」
馬得騒造店長 「放駒部屋の若い衆たちや。なんにんかで、よく来てくれますんや。近いやろからね」
阿佐ヶ谷というところは、元々は<東の両国>に対して<西の阿佐ヶ谷>と呼ばれるほど、相撲部屋が多かった。 花籠部屋や二子山部屋もあったが、その後、藤島部屋との合併で、中野新町へ移転して、現在は貴乃花部屋となっている。 以前は、花籠部屋の隣りに日大相撲部の稽古場があったが、今は日大相撲部だけが残っている。
温対記者 「放駒部屋といったら、あのうるさい審判部長がいるところですよね」
現在も審判部長なのかどうかは、さだかではない。
暇名小五郎 「はは。そうでしたね。元大関魁傑ですね」
温対記者 「そうそう。いちいち手がついてないから、やり直しさせてたけど、最近は手をついてなくても、誰も何も言わなくなりましたよねえ」
馬得騒造店長 「だいたいや、自分たちが現役のときは、手なんぞつかなかったくせに、引退したとたん忘れよるで」
暇名小五郎 「ははは。いい加減なもんですねえ」
放駒部屋は、杉並区阿佐ヶ谷3丁目にある。 JR中央線阿佐ヶ谷駅で降りると、歩いて10分くらいのところにあった。
1981年に、花籠部屋から独立して創設された。 1985年には、元横綱の輪島(当時の花籠親方)が、年寄株を担保とした借金騒動を起こしたことが原因で、花籠部屋が消滅したため、残った力士は全員放駒部屋に移籍した事件があった。
この放駒部屋も、独立当時は第62代横綱<大の国>がいたが、現在は幕下力士6人を頂点に、総勢15名の寂しい部屋になっていた。
馬得騒造店長 「わしも、駆け出しの小僧の頃から、この阿佐ヶ谷では長い間、飲み屋をやっとりましたが、昔は輪島とか荒勢とか、豪快な酒飲みの力士がおったでえ」
暇名小五郎 「はは。そうらしいですねえ」
馬得騒造店長 「日大相撲部の連中も、たまに来てくれはるけど、どっちゃが強いんかわからんねえ」
暇名小五郎 「相撲のことですか? 酒ですか?」
馬得騒造店長 「ははは。それは言えまへんがな。どっちもお客様やろから」
客商売に慣れているというのが、馬得店長に対する印象だった。
暇名小五郎 「いろいろご協力いただきまして、助かりました」
温対記者 「どうも長い時間、有難うございました」
馬得店長は、聞きたいことがあれば,またいつでもどうぞと言って、笑顔で見送ってくれた。
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駒の流儀・第16部 第82章
第82章「相撲の街」
温対記者も、暇名探偵がこれ程粘るのをみたのは、初めてだった。
それだけ、この殺人事件の動機が不明であることを物語っていた。
暇名小五郎 「もう少しで退散しますので、お願いします」
馬得騒造店長 「かまへんで。ほかにどないなことや?」
店長は、それほど迷惑そうな顔はしなかった。
暇名小五郎 「客層は、主にどんな人が多いのですか?」
馬得騒造店長 「そうやねえ。場所的に近所に住むサラリーマンとか、大学生、消防署や区役所などの役所関係の人なんかがよく来てくれまんねん」
温対記者 「そういえば、このあたりは一般の住宅だけでなく、アパートやマンションもたくさんありますよね」
馬得騒造店長 「ほかに、女性連れで来る男性もおるし、女性同士ちうのも来ますがな」
暇名小五郎 「なるほど。客層は幅広いですねえ」
結構繁盛しているだけのことはあるようだ。
馬得騒造店長 「そうそう、相撲取りもきよりまっせ」
温対記者 「へえ。お相撲さんも来るんですかあ。誰が来てます?」
馬得騒造店長 「ははは。有名な力士は来まへん。ちうより、おらへんちうべきやな」
大相撲も、露鵬や若の鵬の大麻事件、朝青龍の殴打事件などの不祥事で、揺れ動いたばかりだったが、こんどは野球賭博と暴力団がらみの問題で、さらなる激震が起こっている。
昔から、八百長問題などが論議されており、週刊誌などから告発されたにもかかわらず、ほっかぶりし続けてきた勘定書きが3倍返しで回って来たようなものであった。
このことは、一相撲協会に限らず、見てみぬ振りを決め込んでいたNHKや横綱審議委員会などにも言えることである。
そろそろ角界も、自浄努力をしなければ、公益法人の認定も危うくなりそうな雲行きではなかろうか。
温対記者 「どこの部屋ですか?」
馬得騒造店長 「放駒部屋の若い衆たちや。なんにんかで、よく来てくれますんや。近いやろからね」
阿佐ヶ谷というところは、元々は<東の両国>に対して<西の阿佐ヶ谷>と呼ばれるほど、相撲部屋が多かった。
花籠部屋や二子山部屋もあったが、その後、藤島部屋との合併で、中野新町へ移転して、現在は貴乃花部屋となっている。
以前は、花籠部屋の隣りに日大相撲部の稽古場があったが、今は日大相撲部だけが残っている。
温対記者 「放駒部屋といったら、あのうるさい審判部長がいるところですよね」
現在も審判部長なのかどうかは、さだかではない。
暇名小五郎 「はは。そうでしたね。元大関魁傑ですね」
温対記者 「そうそう。いちいち手がついてないから、やり直しさせてたけど、最近は手をついてなくても、誰も何も言わなくなりましたよねえ」
馬得騒造店長 「だいたいや、自分たちが現役のときは、手なんぞつかなかったくせに、引退したとたん忘れよるで」
暇名小五郎 「ははは。いい加減なもんですねえ」
放駒部屋は、杉並区阿佐ヶ谷3丁目にある。
JR中央線阿佐ヶ谷駅で降りると、歩いて10分くらいのところにあった。
1981年に、花籠部屋から独立して創設された。
1985年には、元横綱の輪島(当時の花籠親方)が、年寄株を担保とした借金騒動を起こしたことが原因で、花籠部屋が消滅したため、残った力士は全員放駒部屋に移籍した事件があった。
この放駒部屋も、独立当時は第62代横綱<大の国>がいたが、現在は幕下力士6人を頂点に、総勢15名の寂しい部屋になっていた。
馬得騒造店長 「わしも、駆け出しの小僧の頃から、この阿佐ヶ谷では長い間、飲み屋をやっとりましたが、昔は輪島とか荒勢とか、豪快な酒飲みの力士がおったでえ」
暇名小五郎 「はは。そうらしいですねえ」
馬得騒造店長 「日大相撲部の連中も、たまに来てくれはるけど、どっちゃが強いんかわからんねえ」
暇名小五郎 「相撲のことですか? 酒ですか?」
馬得騒造店長 「ははは。それは言えまへんがな。どっちもお客様やろから」
客商売に慣れているというのが、馬得店長に対する印象だった。
暇名小五郎 「いろいろご協力いただきまして、助かりました」
温対記者 「どうも長い時間、有難うございました」
馬得店長は、聞きたいことがあれば,またいつでもどうぞと言って、笑顔で見送ってくれた。