駒の流儀・第5部

第23章「NHK杯将棋トーナメント」

   毎週日曜日の午前中は、将棋フアンのみならず、プロ棋士も楽しみにして見ているというNHK将棋トーナメントが放送される。
   今年は、女流枠も増えて、清水一夜女流王将と里見華菜女流名人が参加する。楽しみである。

  この日の対戦は、2回戦第3局。羽生義治名人<40歳>対中田宏喜8段<45歳>の一戦である。
   放送開始日の3日ほど前の収録の日であった。

 先手となった羽生名人は、いまさら紹介が必要ないほどの大棋士であり、ここでは省略させていただく。

 後手番の中田宏喜8段の略歴。

     東京都武蔵野市出身 1964年生 45歳 桜井登8段門下
      竜王戦4組 順位戦B級2組 1985年4段 2006年8段

    タイトルの獲得歴は無いが、攻守のバランスがとれた実力者である。
     生粋の居飛車党で、矢倉が得意な正統派というのが、中田の評価だった。

   先手羽生名人の▲76歩で、開始された。

 中田8段は、順位戦では勝てず、C級を抜け出すのに20年近くかかっている。
   したがって、彼の昇段はすべて勝数によるものであり、通算560勝を挙げたとき8段昇段を果たした。

 順位戦でB級1組もA級も経験していない8段の誕生となった。
   中田は、通算600勝も達成し、将棋栄誉賞を獲得している。
    また、過去に日本将棋連盟の野球チームの監督も務めていたこともあるスポーツマンである。

  後手の中田8段は、なかなか着手をしない。
   5分が過ぎた。

  何を考えているのか、怖い顔で盤面を睨んだまま、さらに3分が経つ。まだ指さない。

   NHK杯で、中田8段といえば、思い出すのは島8段との対局であろう。
     もう何年前になるのか忘れたが、たしか相矢倉の定跡形であった。

    島8段の序盤の構想が良く、快心の出来で必勝態勢を築き上げたが、終盤の寄せを間違えて逆転で中田が勝った。

   NHK杯史上でも、まれにみる島の大ポカがあった。
    最後は桂馬が利いているところに、銀を打ったのだった。
   解説をしていた三浦8段が<何ですか?これは・・・>と絶句したのが、印象深く記憶に残っている。

    中田8段は、羽生名人が訝しげな顔をして、首をかしげるのを見て、ようやく手を盤上に伸ばした。
     体を心持ち前に倒して、鉄火面のような表情で着手した。

         後手 △92香
   

    なんと、中田8段の初手は△92香であった。

     これには、見ていた関係者も驚いた。天下の羽生名人に対して、こんな手が通じるのか?

       明らかに奇策である。

    ここまで中田8段は、羽生名人に1度も勝ったことが無かったため、どうせ勝てないのならやってみようと思って指したと、局後質問に答えて語った。

  島8段との対局とともに、NHK杯の中田は、何かと記憶に残ることをしてくれたのであるが、あの堅実な実力者が奇策を弄するほど、羽生名人の実力は威圧感があったということかも知れぬ。

   この対局が放送された日曜日には、テレビを見ていた将棋フアンの誰もが唖然とした。
  
   もちろん将棋担当記者の温対や後呂、皆本編集長らも見ていたが、彼らはただ一様に驚くだけだった。

    しかし、同じようにテレビで見ていた暇名小五郎には、別の意味で関心を抱く出来事だったのである。

投稿者: 悪魔仮面 投稿日時: 水, 03/31/2010 - 12:17 categories [ ]

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