駒の流儀・第1部

 新井田基信氏とは、一度だけ対戦したことがある。余が油断して負けた記憶が残っているが、余の棋歴の中でも、あれほど強く高潔な将棋人は、他にいなかった。
             慎んで哀悼の意を表する。

第1章「奇妙な盗難」

 将棋の駒を打ち下ろす時、それぞれの棋士によって個性がでる。激しく盤上に音を立てて打ち下ろす者、穏やかな手つきで音も無く駒を動かす者、あるいは桝目に添ってきれいに並べる者など、千差万別である。

 だが、1つだけはっきりしていることは、盤上の桝目の中に駒を置かねばならず、決して四角形の桝目の外にはみ出すことは許されなかった。
   <徳川幕府将棋指南役 伊藤宗白著「駒の流儀」より>

秋田県の中央に位置し、南北に長く北秋田群の西南部の山間に「上小阿仁村」がある。
 この村へは、小阿仁川が中心から北へ流れ、途中五反沢川、仏社川などの支流を合わせて米代川へと向っている。
北部は平地で、南部は山林が多く、総面積の93%が山林原野で占められており、そのうち75%が国有林である。

平成の大合併の時も、上小阿仁村は合併協議会に参加せず、独立独歩の姿勢を貫いてきたが、秋田県においては最も人口の少ない村で、高齢化、過疎化、空洞化が進んでいた。

 村内には鉄道は通っておらず、主な交通手段はバスが中心であり、その分のどかで美しい村だった。
そののんびりとした上小阿仁村で、ちょっとした盗難事件が起きた。

大沢一向巡査<46歳> 「猫面さん、んがのどこで、なんか盗られたもの、んだどもあるどか?」

 猫面尺治<67歳> 「さあ、それがなんただものがあったか、覚えてないんだで」

猫面の妻<65歳> 「駐在さん、こごさあるのは古くしぇものほいどりで、たいしたものはなんも無かったんだどもねえ」

大沢一向巡査 「んだどもも、蔵の中がこれだけ荒らされてるんだべら、なんかを探したことは間違いないな」

 猫面尺治 「んだども、盗られるようなものは、なんも無いんだでけどねえ」

    猫面夫婦は全く心当たりが無かったが、一応蔵の中をもう一度探してみることにした。
    猫面尺治の家は、村役場と村立図書館と上小阿仁中学校の三角地点の真ん中あたりにあって、先祖代々この家に住んでいる。

    主人の猫面尺治は、村役場に勤務した後、村会議員を長年務めていたが、定年退職後は悠々自適の年金暮らしであった。

猫面の妻 「んだ、ここんとこになんかあったんでねえべか?」

猫面の妻が、思い出したように声を上げた。

 猫面尺治 「おお、そういえば古くしぇ巻物みてえなもんがあったんだども、なくなってるみてえだで」

大沢一向巡査 「巻物? なんだが、それは」

 猫面尺治 「詳しく見たわけでねんだども、時代劇の忍者の巻物のようなものがあっただ」

猫面の妻 「んだんだ。たすかにあっただよ駐在さん」

 大沢一向巡査 「そしたら、たしかさその巻物が無くなったんだな?」

猫面尺治 「んだども、おめだもの盗んでどうこぐんだがねえ?」

     猫面夫婦は、不思議なことだと首をかしげた。

大沢一向巡査 「猫面さん。一応盗難事件なので訴えますだか?」

猫面尺治 「はあ。んだども、この程度で訴えるのもめんどくへねえ」

  猫面の妻 「んだばって、たいしたもの盗られてないけど、蔵の中荒らされたのは気持ち悪いし、怖わねえ」

大沢一向巡査 「そうだべ。わも出来るだけ見回るようさこぐがらよよ」

   このちょっとした田舎の盗難事件が、やがて起きる連続殺人事件の引き金となったのである。

投稿者: 悪魔仮面 投稿日時: 月, 03/01/2010 - 16:15 categories [ ]

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